都市の論理と地方の非論理。衰退する地方を助けないといけない理由
投稿日: 2014年05月16日 12時00分
「2040年には896自治体が消滅か」。5月8日のYahooニュースで取り上げられた。時事通信の記事で内容は次の通りだ。
『民間の有識者らでつくる「日本創成会議」の人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也元総務相)は8日、独自に推計した2040年時点の全国の市区町村別人口を発表した。10年から40年までの間に若年女性が大幅に減少する896自治体を「消滅可能性都市」と位置付けた上で、このうち40年時点で人口が1万人を切る523自治体は「消滅可能性が高いと言わざるを得ない」と指摘した。』(2014年5月8日、時事通信)
総務省によると、全国の自治体の総数は1716(2014年4月現在)。この推計では市区町村1800自治体を対象にしたそうだ。半数を超える自治体に消滅可能性がある、としている。
今回はこの推計に関して分析するわけではない。これだけの自治体を「消滅可能性が高い」と指摘されたことが関係している。
普段は地方紙で記者をしている私は、常にこの「消滅する可能性」と向き合わざるをえなかった。全国あらゆる自治体に消滅の可能性があって、すべての市町村やそれを構成する地区、山村、集落で今と同様に人が生活する場として残り続けることは、おそらくあり得ない未来だ。
人が減り続ける村の住民を支えるために、各自治体は、国は、税金を使って道路を整備し、水道管を更新し、ゴミ収集に向かい、診療所を整える。住む場所は自由だ。その地域に住む住民たちの税金ですべてが賄えているわけではない。我々の所得税の一部やたばこ税、酒税などが原資の地方交付税がその一部に含まれている。
「この村を維持するために、私たちの税金を使って何のメリットがあるのですか?」
取材していこの疑問がどうしてもぬぐえなかった。だから、今回、「この地域を人が住む場所として残していかないといけない理由はありますか?」と聞いてみた。
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高台から土佐山村を望む。険しい山地に家が点在している
舞台は高知市から車で約30分かかる土佐山地域だ。2009年に高知市に合併するまでは土佐山村だった。地域人口は約1000人。合併前は1300人ほどだったから、5年間で約20パーセントが減少した計算になる。全国に数多ある山村地域。ジャーナリストキャンプのメイン会場になったという理由だけで、私はこの失礼とも思える質問を、住民たちにぶつけた。
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中川をよくする会の懇親会。乾杯のかけ声で紙コップを掲げるメンバーたち
◆消滅可能性を受け入れる土佐山の住民たち
乾杯のかけ声とともに場がにぎわう。4月27日、土佐山の西側にある中川地区の住民団体「中川をよくする会」の懇親会に赴いた。テーブルには大きな漆塗りの器に刺身が盛られて弁当が並んだ。「草刈りやっても飲み会、蛍まつりやっても、何かことがあれば飲む」とメンバーの女性が赤い顔で笑った。
中川地区は久万川・中切・東川の3地区の総称だ。1966年まで3地区を校区とする小学校が統合された。じわじわと人口が減少していき、離村を考える住民もでてきたという。衰退を食い止めようと、地区の拠点となる施設を立ち上げようとして住民たちが立ち上げたのが「中川をよくする会」だった。
「みんなが一緒にならないと、という意識が強いな」と語るのは元村議会議長の鎌倉寛光さん(73)だった。取材を申し込むとビールを片手に別室に案内された。
-この村がなくなるかもしれないと考えることはありますか?
「時代の流れとしてやむを得ないかなと思えるな。ただ、目が黒いうちは残しておきたいし。先のことはわからんけど、存在するのであれば、今を一生懸命生きるだけや」
-離村を考えたことはありませんか?
「いろいろな事情で出た人もおる。現実やもん。若者が出て行って悲観することもない。若者も若者なりにがんばっとる。戻るの強制しても楽しくないやろうし」
一番の思い出を訪ねると、オーベルジュ土佐山の話になった。中川地区にあるホテルだ。学校に代わる地域の拠点施設と位置付け、中川をよくする会と当時の土佐山村、地元ホテルなどが共同で、10年がかりで協議を進めて1998年に完成した。客室数16室の小さなホテルに現在でも年間1万人近い宿泊客が全国から訪れる。
「楽しかったな。ワークショップやって。老人、青年、女性とグループ作ってわかれて、どんな施設がいいか話した。やりはじめたら一番の励みになって、地域ぐるみで突っ走った。過疎で高齢化だから、マイナスからの出発みたいなもん。失敗しても失うものはなかったっちゃ」
当時を思い出しながらしみじみと語る。公民館の扉の上にかけられた賞状を指さした。「大臣賞をな、もらった。評価された。それがこの村の最後の思い出やな」
大臣賞とは2004年度に受賞した「地域づくり表彰国土交通大臣賞」のことだ。最後の思い出とあっさり語った。「あきらめてるんですか?」と尋ねると「そういうわけではないけどな」と小さく笑った。
宴会場に戻ると酔いが回った参加者の声はさらに大きくなっていた。座は乱れて、テーブルの上に醤油がこぼれていた。
「記者さんも食べえや」と声をかけられて、再び座った。
「どこからきたんやっけかな」と話しかけられて振り向いた。短い髪にがっしりとした体つきでにこやかな笑顔をした鎌倉聡さん(57)だった。有機作物を栽培して販売する夢産地とさやま開発公社の研修生として、1カ月前から農業に従事しているという。
「有機は収入が低いき。理想を追いすぎてる気もするな。でも、求める方向は間違ってない。産地と消費者をどうつなぐかや」
父は土佐山村の村長だったという。有機農業の旗を振った人だった。昔はよく激論を交わした。「どうにかして儲けなあかん。人は食っていかんと生きていけんき。お金をとらんとどうやって生きていくんき。現実は現実っちゅうて。お金だけでもあかんし、夢だけでもあかん」
-そのバランスをどうやって整えるんですか。
「難しい話。それをやらんと人は生きていけん」
-土佐山で生活できないと過疎化は止まりません
「人口は減っていく。日本中で。全部ノーマルに日本全国が残っていくっていうのは無理だよね。それはどうしようもないよね。たとえば、草津温泉とか、富士山のふもとの町は残ってく。人の熱意か特産か特徴がないと。
そんじゃきよ。なんもなくても人はおる。最初は人や。だから、子供が育てられる地域じゃないとあかん。子供がおらんといかん」
-若者がで出て行っている状態で子供は増えませんよ。
「大都市に人口集中するのは避けられないから」
-じゃあ、やっぱりこの地域はなくなるかもしれませんよ
「難しい話だ」
-離村される方もでるかもしれません。それについてはどう思いますか?
「離村を選ぶことは悪いとはいえん」
-この地域を残す必然性ってあるのでしょうか?
「ここで生きていきたいき。福島の人も一緒やろ。生まれたところで、知ったところで、居心地がいいところで生きたいき。」
-では、今住んでいるみなさんが亡くなったあとは、この地域から誰もいなくなっても構わないということでしょうか?
意地悪な質問の連続だった。
鎌倉さんは一つ息をはいて視線を外した。「永続してほしいがやね。誰かが住んでてほしい。この地区は続いてほしい」
土佐山が、中川地区がなくなるかもしれないという思いを抱いていた。だが、それがいつかはわからない。この地域が残る必然性はありますか?という質問に「そんなもんわからん」と答える人もいた。
うなずくしかない。高知市から車で約30分。辛口のジンジャーエールが有名だ。全国から客が来るホテルがある。だから、この地域は残す、という選択にはならない。だが、それは住人たちも十分理解していた。
◆人が減り続ける集落を維持する必要性
私は兵庫県北部の人口1万人程度の地方都市で生まれ育った。平成の大合併で、町の名前はなくなった。喪失感があった。同じ小学校で学んだ約70人の同級生のほとんどは故郷から離れている。地元に残ったのは10人ほどか。故郷の住民が減り続けている。このままでは誰も住まなくなってしまう。だから、戻ってきてほしい、と懇願されたとしても、私は戻らない。自治体として立ち行かなくなり、地図から故郷の町の名が消えてしまったとしたら、それは寂しいが、それだけだ。
山奥の集落で取材するのは楽しい。土佐山と同様に一緒にご飯を食べて、酒を飲んだりした。ベストセラーになった「里山資本主義」でも、著者のNHKディレクターが、地域の人と交流に魅力を感じている描写がある。この本の内容全体を言い表す描写ではないが、「ああ、一緒だな」と印象に残った。
どれだけ魅力を感じても、それが補助金を与える理由、税金を投じる理由にならない。本当にその村がなくなったところで、村に縁もゆかりもない人が心を痛めることはない。
「そんなの許せませんね」。高橋光代さん(77)はきっぱりと言った。土佐山で生まれ育った。小学校2年生で養女に出て、土佐山を離れた。炭火焼きを手伝いながら定時制高校に通ったが3年生で中退した。19歳で帰ってきた。実家が恋しくなって、という。村にあった和裁の学校に通い、20歳で嫁いだ。1男1女をもうけた。まだ道は舗装されていない。街に用事があるときは、オートバイの前と後ろに子どもを乗せて、獣道のような道をくだった。
息子は50歳近くになるがまだ結婚はしていない。娘は結婚したが、孫が4歳のときに他界した。母親代わりに孫を育てた。ドッジボールの大会で愛知まで行って若い親たちと一緒に声援を送った。卒業式に出た。成長した孫。今ではひ孫がいる。5月3日には顔を見せにくる。
毎日のように土佐山の旧村役場近くのBALに顔を出す。地元の野菜の販売と、カフェコーナーがある。友達と他愛もないおしゃべりをする。
全然、出て行こうと思ったことはない。空気がいい。地域のみんなの仲がいい。住んでいる集落は10年ほど前は60戸あったが、今では43戸になった。人が減っているのはわかる。
あー時代かー、時代の流れかー、と友達と口をそろえる。
でも、「土佐山を捨てたらいかん」。田舎あっての都会だと思う。土佐山はいい、ていうてる人もいる。「そういえば、京都から移住を考えてる人が今日来てるらしいんですよ」とBALの店員が声をかける。ほらね、とにこりと笑う。「希望は捨てたらいかん」
◆都会と田舎の間にある溝
私の考えと土佐山の住民たちの思いの隔たりは埋まらなかった。私のような考え方は合理性を求める都市的な考え方と思っている。土佐山で出会った人たちは、人とのつながりや故郷への思いに大きく重心が傾いている。都市の論理で田舎の人は説得できず、同時に田舎の論理で都市を説得はできない。
この溝を埋めずに放置してもいいのか?放置したら、消えていくのは田舎だけだ。だが、田舎が消えると、地方から人口を吸い上げてきた都会自体も、いずれは立ち行かなくなるだろう。もし地方が生き残りたいと願うなら、その現実を都市住民にわからせることが必要だ。そのためには、「日本の原風景を守る」「ふるさとを守る」という心に響かない抽象的なキャッチフレーズはやめるべきだ。高橋さんの「田舎あっての都会でしょ」。この言葉に現実味をもたせることが一つの道筋だろう。
(この記事はジャーナリストキャンプ2014高知の作品です。執筆:中尾悠希、デスク:島洋子)http://www.huffingtonpost.jp/jcej/post_7597_b_5316194.html?utm_hp_ref=tw
再生核研究所声明 13 (2008/05/17): 第1原理 ― 最も大事なこと
世界の如何なるものも 環境内の存在であり、孤立した存在は在り得ない。世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある。よって環境や戦争については 多くの人間の関与すべき重要な問題と考えなければならない。21世紀は、近代科学の進歩によって 地球の有限性が顕わになり、人類絶滅の可能性を感じせしめるようになってきた時代とも言える。
国が栄えなければ、地方の栄えは考えられず、県などが栄えなければ 市町村などの発展は望めない。市町村などが健全でなければ 地域は栄えず、住民や家庭の健全な生活は不可能である。しかしながら、現実的な対応としては、逆方向の発展を考えざるを得ない。すなわち私たち個人、および個人の近くから、より良い社会、環境になるように努力していくことである。孤高の存在は所詮空しく、儚いものである。それゆえに われわれは各級のレベルにおける環境と社会に思いを致すことに努力して行こうではありませんか。
特に、われなき世界は 存在すれども、何事をも認識できず、知ることもなく感じる事もできない。よって、われ存在して始めて、世界を知ることになるから、健全なる個人の存在は、個人にとっては最も大事な第1原理に考えざるを得ない。これは言い古されてきた、 まず健康ということ、 に他ならない。われなき世界とは 自分が影響を与えない世界のことである。この個人と社会の関わりは、 愛とよばれている、 愛の本質である。それは男女の愛と親子の愛が基本になっている。それはまた じんかん と よばれる人間存在の本質でもある。
この声明は 地球環境を限りなく大事にし、世界の平和を確立し、社会を大事に思い、世界の拡大と深化を、 個人を尊重しながら、 積極的に進めることを、各級のレベルで努力することを要請しているものである。その原理は、 人間存在の本質である、 人間存在における三位一体の理存在、知、愛の、存在して、始めて知り、求める事ができる という原理を、いわば当たり前のことを、
確認しているに他ならない。(しかしながら、実際にはこの自明な、重要な原理は、解析接続のように必然的に 新しい価値観と考え方を限りなく発展させ、雄大な世界を拓くのであるが、私個人はこの古い世界で生涯を閉じようとしていて、その世界には立ち入らない事にしたいと思う。不思議にも 少年時代に宇宙論と共にその世界を覗いたのですが、怖くなって覗かないようにしました。それはガウスが非ユークリッド幾何学を発見したが、世の反響の大きさを恐れて発表を控えたのと同じ心境です。) 以上。
再生核研究所声明 143 (2013.12.10) グローバリゼーションの危険性
(2013.12.6.3時45分 夢の中で新しい原理を 情景を交えながら発見し、目を覚ましました。グローバリゼーションの危険性と、人類滅亡の原理です。 声明の案にできそうです。適切か検討します。 ― その夢は 農村地帯で、1軒の農家の畑だけが緑の野菜で覆われ 他の周辺の広大な農地は 灰色になって広がり、異様であったが、一人の青年が、グローバリゼーションの影響で 他の農家がやって行けず、農家では お金が入らないと言っていました。人類滅亡の概念は 哲学的、根本的な大事な原理を述べているが、それは その後 夢、うつつに考察したものである。 成文化を試みたい。)
上記で いわゆる市場主義の原理で 事を進めれば、生業が成り立たなくなると言う、根本問題を提起している。 実例でも、例えば、 広々としたベトナムの農村では、田植えを 手で、一株ずつ人海戦術で植えているが、日本では、田植え機械で 夫婦二人で、どんどん田植えが行われている。稲刈り、収穫作業も同様の差がある。農作業の重労働を想い出し、胸を痛めたものであるが、アメリカの小麦の生産方式など考えれば、日本の農家の農作業など、ベトナムと日本の差以上であろう。それらが、市場主義、自由競争となると、ベトナムの農家も日本の農家も成り立たないのは、道理である。このような危惧は、至る所に現れ、世界混乱の主因になるだろう。長い間続いていた、文化、習慣、慣習、生活基盤の破壊である。― インドの痛ましい情景を時として、回想する。土を運ぶのに、土を籠に入れ 頭に載せて、沢山の女性が連なって運んでいる。普通考えられるトラックで運べば、如何に簡単に大量に運べるかを考えると、痛ましい仕事である。しかしながら、それらを機械化すれば、失業者の増大や、取り巻く環境の激変で大きな混乱が起きるだろう。
そこで、グローバリゼーションの危険性 を 夢の中の青年に代わって、世に訴え、注意を換気したい。
個々の存在してきた、事実、経過は大事であり、何事、新しい変化との調和に 思いを致さなければ、混乱の素になるだろう。何事変化に、早ければ良い、改めれば良い の考えには 根本的な問題が内在していて、危険であると考えたい。
グローバリゼーション は エントロピー増大の法則のように 避けられない面が有るだろう、そこで、絶えずブレーキをかけて行くような配慮、全体的な影響と調和を考える努力が必要ではないだろうか。
以 上
追記、参考資料(ウィキペディア):
グローバリゼーション
グローバリゼーション(英: Globalization, Globalisation)は、社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象である。
概略[編集]
この語は、様々な社会的、文化的、経済的活動において用いられる。使われる文脈によって、例えば世界の異なる地域での産業を構成する要素間の関係が増えている事態(産業の地球規模化)など、世界の異なる部分間の緊密な繋がり(世界の地球規模化)を意味する場合もある。
世界史的に見れば、何らかの現象の「グローバリゼーション」は、大航海時代に起源を発する。大航海時代により、ヨーロッパ諸国が植民地を世界各地に作り始め、これによりヨーロッパの政治体制や経済体制の「グローバリゼーション」が始まり、物流の「グローバリゼーション」が起こった。これが本格化し始めた時期は19世紀で、ナポレオン戦争による国民国家の形成や、産業革命による資本主義の勃興が、近代の「グローバリゼーション」を引き起こした。
第二次世界大戦が終わると、アメリカ合衆国を筆頭に冷戦の西側諸国で多国籍企業が急成長し、現代の「グローバリゼーション」が始まった。1970年代から「グローバリゼーション」という語は使われるようになったが、より一層広まった時期は、アメリカ合衆国が湾岸戦争に勝利し、ソビエト連邦が崩壊したことにより、アメリカ合衆国の単独覇権が確立された1991年以後である。ソビエト連邦が崩壊すると、経済面では、「運輸と通信技術の爆発的な発展や、冷戦終結後の自由貿易圏の拡大によって、文化と経済の枠に囚われない貿易が促進する事態」も指すようになった。グローバリゼーションの負の現象、例えば工業や農業といった産業が世界規模での競争(メガコンペティション)や、多国籍企業による搾取の強化と、それに伴う国内産業の衰退とプレカリアートの世界的増大という事態を指す場合もある。そのため、最近では否定的な語として用いられる例も多くなった。
1991年以後、グローバリゼーションの負の現象を非難する人々は、主要国首脳会議の開催地などで反グローバリゼーションを訴えている。又、グローバリゼーションが多国籍企業を利して末端の労働者を害する現象「アメリカニゼーション」だと揶揄する人々も少なくない(グローバル資本主義)。
2010年代に入る前後からは、かつてコスト削減や利益を増やすために中国企業に積極的にノウハウを教えた日本の企業が、逆に中国企業に買収される動きも出ている[1]。
異義語[編集]
「グローバル」と「インターナショナル」、「グローバリゼーション」と「インターナショナリゼーション(国際化)」という語は、意味する範囲が異なる。「インターナショナリゼーション」は国家と国家の間で生じる現象であるのに対して、「グローバリゼーション」は地球規模で生じるものであり、国境の存在の有無という点で区別される。
具体的に言えば、世界地図を見て国境を意識しながら国家間の問題を考えれば、「インターナショナル」な問題を考えている事になる。対して、地球儀を見ながら地球全体の問題を考えれば「グローバル」な問題を考えている事になる。即ち、「グローバリゼーション」の方が「インターナショナリゼーション」よりも範囲は広くなる。
訳語[編集]
大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立国語研究所の「外来語」言い換え提案では「地球規模化」を挙げている。グローバリゼーション、グローバル化といった言葉もよく使われる。中国語では、「全球化」と訳される。
徴候[編集]
グローバリゼーションの傾向が認められる現象は多くあるが、現代の「グローバリゼーション」では3つの流れがある。(1)第二次世界大戦後に地球規模化した現象、(2)世界恐慌最中の1930年代前半に失われたが、現在に復活している現象、(3)米ソ冷戦終結後の1990年代に地球規模化した現象:の3つである。これらの現象には、ヒト・モノ・カネと情報の国際的な流動化が含まれる。また科学技術、組織、法体系、インフラストラクチャーの発展がこの流動化を促すのに貢献した。一方で、様々な社会問題が国家の枠を超越し、一国では解決できなくなりつつある。
より明確にいうと、地球規模化が認められるものには:
• 世界経済の融合と連携深化。
• 貿易の発展。
• 直接投資を含む資本の国際的流動の増加。
• 国際金融システムの発展。
• 多国籍企業による世界経済の支配割合の高まり。
• 世界で最適な調達・販売を行なうサプライチェーン・マネジメントの発達。
• 航空と海運の航路増大による物流ネットワークの発達。
• インターネット、通信衛星、電話などの技術を使った国境を越えるデータの流れの増大。
• 地球規模的に適用される標準、基準などの増加。(例:著作権法)
• 異文化交流の機会増加。
• 増大する国際的な文化の交換。文化の同化、融合、欧米化、アメリカ化(アメリカナイゼーション)、日本化及び中華化を通じての文化差異の減少。
• 増加する海外旅行、観光。
• 不法入国者・不法滞在者を含んだ移住者の増加。
• 政治主体の一元化
• 世界貿易機関(WTO)などの組織への国際的取り決めを通じての国家支配権と国境(の重要さ)の衰退。
• 国民国家の枠組みにとらわれないNGOなどの組織拡大。
• WTO、WIPO、IMFなどの国際的組織の役割の増大。
• 経済的格差の世界化
• 世界的な富裕層の増大、発展途上国における中流階級の成長、先進国の中流階級の没落・貧困化
• 社会問題の世界化
• 疫病の世界的流行。
• 犯罪の世界規模化。
• 地球全体の環境問題。
• 紛争への世界的関与。
※上記のすべての項目に地球規模化が認められるかどうかについては議論の余地がある。
賛否[編集]
グローバリゼーションの進展については、賛同して推進しようとする意見もある一方で、批判も強く、様々な立場から撤廃しようとする意見[(反グローバリゼーション・脱グローバリゼーション)が提示されている。様々な分野においてその功罪につき議論されている。
国家経済的視点では、ジョセフ・E・スティグリッツは、グローバリゼーションの利点を認めつつも、現状の市場・制度の下では二極化が進む欠点の方が多いと述べる。 またポール・クルーグマンは主に覇権国家や多国籍企業の利益追求を肯定・促進する(新自由主義)ために広められるドグマの一種であると書いている[要出典]。ただしその著書『グローバル経済を動かす愚かな人々』からも分かるように、クルーグマンはグローバリゼーションそのものに反対しているわけではない。
以下でグローバリゼーションに対する賛成・反対双方の意見を載せる。ただしここに載せた意見が経済学的に正しいとされているものとは限らない。貿易#貿易に関する誤解も参照の事。
賛同[編集]
• 国際的分業(特化)が進展し、最適の国・場所において生産活動が行われるため、より効率的な、低コストでの生産が可能となり、物の価格が低下して社会が豊かになる。
• 投資活動においても、多くの選択肢から最も良いものを選択することができ、各企業・個人のニーズに応じた効率的な投資が可能となる。
• 全世界の様々な物資、人材、知識、技術が交換・流通されるため、科学や技術、文化などがより発展する可能性がある。また、各個人がそれを享受する可能性がある。
• 各個人がより幅広い自由(居住場所、労働場所、職種などの決定や観光旅行、映画鑑賞などの娯楽活動に至るまで)を得る可能性がある。
• 密接に各国が結びつくことによって、戦争が抑制される可能性がある。
• 環境問題や不況・貧困・金融危機などの大きな経済上の問題、人権問題などの解決には、国際的な取り組みが必要でありこれらに対する関心を高め、各国の協力、問題の解決を促す可能性がある。
反対[編集]
• 安い輸入品の増加や多国籍企業の進出などで競争が激化すると、競争に負けた国内産業は衰退し、労働者の賃金の低下や失業がもたらされる。
• 投機資金の短期間での流入・流出によって、為替市場や株式市場が混乱し、経済に悪影響を与える。
• 他国・他地域の企業の進出や、投資家による投資によって、国内・地域内で得られた利益が他地域・国外へと流出する。
• 従来は特定地域に留まっていたテロリズムや武力紛争が全世界化し、各地域の安全が脅かされる。
• 多国籍企業の進出や人的交流の活発化によって、生活と文化が世界規模で均質化し、地域固有の産業や文化が消滅する。
• 地域間競争の活発化によって、投資・経済活動の巨大都市(世界都市)への集中が進み、農山村や中小都市が切り捨てられ衰退する。
• 多国籍企業の影響力増大によって、各国の国家主権や地方自治が破壊される。
• 投資家やエリート官僚が政治を牛耳るようになり、各国・各地域の民主主義はグローバルな寡頭制に置き換えられる恐れがある。
• 厳しい競争の中で企業を誘致したり国内産業を育成しようとするため、労働環境は悪化し、環境基準が緩められ、社会福祉が切り捨てられるようになる(底辺への競争)。
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