日本人の頭って・・・700ページ以上数字だけ書かれた本が、品切れになるほど売れている!=中国メディア
中国メディア・光明網は2日、「719ページにわたり数字しか印刷されていない本が、日本で品切れになるほど売れている」とする記事を掲載した。
記事は「近ごろ、『2017年最大の素数』という書籍が、日本のAmazonの数学分野販売ランキングで1位を獲得した。しかし、約3センチ2ミリの厚さがあるこの本の大部分、いや、全719ページには数字の羅列しか印刷されていないのである」と紹介した。
紹介されたのは、東京・新宿にある出版社虹色社(なないろしゃ)が先月13日に出版したばかりの「2017年最大の素数」という本。本にはタイトル通り2017年末現在で発見されている最大の素数が記載されている。この「2017年最大の素数」数式で表すと「2の7723万2917乗-1」となるが、実際の数を書こうとすると2324万9425ケタもの膨大な数字の羅列になる。各ページにびっしりと数字を印刷しても、719ページという「超大作」になってしまうのだ。
記事は「意外な事に、この数字しか書かれていない本が、ほどなくAmazonで売り切れになるほどの人気を博したのだ。出版社の責任者も『この本は全く実用的な意味はないので、こんなに売れるとは思わなかった。当初は円周率の数字を印刷して出版しようと思っていたのだが、円周率は無限に続くためボツになり、最終的に2017年現在で知られている最大の素数を選んだ』と驚きを示している」と伝えている。
さらに、Amazonで売れているだけではなく、その評価も10人中7人が5点満点をつける平均4.7点という高評価を獲得していると説明。「このような反応に驚いた出版社は緊急に増刷し、近いうちに販売再開するとのことだ」と紹介した。
これまでAmazonのみで販売されていた同書だが、同社のウェブサイトによれば新宿や大阪・梅田の紀伊國屋書店、さらには東京・国分寺の店で販売を始めたという。意味のないものに意味や価値を見出す、日本人の発想と、それを楽しむ日本の消費者の姿勢に、中国の人びとは改めて感心することだろう。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)https://news.nifty.com/article/world/sech/12190-20180205_00007/
記事は「近ごろ、『2017年最大の素数』という書籍が、日本のAmazonの数学分野販売ランキングで1位を獲得した。しかし、約3センチ2ミリの厚さがあるこの本の大部分、いや、全719ページには数字の羅列しか印刷されていないのである」と紹介した。
紹介されたのは、東京・新宿にある出版社虹色社(なないろしゃ)が先月13日に出版したばかりの「2017年最大の素数」という本。本にはタイトル通り2017年末現在で発見されている最大の素数が記載されている。この「2017年最大の素数」数式で表すと「2の7723万2917乗-1」となるが、実際の数を書こうとすると2324万9425ケタもの膨大な数字の羅列になる。各ページにびっしりと数字を印刷しても、719ページという「超大作」になってしまうのだ。
記事は「意外な事に、この数字しか書かれていない本が、ほどなくAmazonで売り切れになるほどの人気を博したのだ。出版社の責任者も『この本は全く実用的な意味はないので、こんなに売れるとは思わなかった。当初は円周率の数字を印刷して出版しようと思っていたのだが、円周率は無限に続くためボツになり、最終的に2017年現在で知られている最大の素数を選んだ』と驚きを示している」と伝えている。
さらに、Amazonで売れているだけではなく、その評価も10人中7人が5点満点をつける平均4.7点という高評価を獲得していると説明。「このような反応に驚いた出版社は緊急に増刷し、近いうちに販売再開するとのことだ」と紹介した。
これまでAmazonのみで販売されていた同書だが、同社のウェブサイトによれば新宿や大阪・梅田の紀伊國屋書店、さらには東京・国分寺の店で販売を始めたという。意味のないものに意味や価値を見出す、日本人の発想と、それを楽しむ日本の消費者の姿勢に、中国の人びとは改めて感心することだろう。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)https://news.nifty.com/article/world/sech/12190-20180205_00007/
とても興味深く読みました:
再生核研究所声明 405(2017.12.31): ゼロ除算が拓いた幾何学の現象 ― 堪らなく楽しい新奇な現象 - デカルトの円定理から
図と式の表現が表しにくいので 簡単に参照されるサイトhttps://arxiv.org/abs/1711.04961
を挙げて その中の図と式を参照して頂いて、ゼロ除算が如何に面白いかを解説したい。
まず、始めにデカルトの円定理と呼ばれる美しい定理を参照して下さい。3つの円が外接するときに、それらに内接したり、外接する円の半径の間の関係を確立した定理です。
式は美しいのですが、表現で4つの半径は、完全に対称になっていることに気づけばさらに 美しさを深く理解できます。
論文の発想は、そもそも、点や直線は円の特別な場合と見なせるという数学を想起して、デカルトの円定理で述べた基の3つの円を 点や直線に置き換えた場合にも成り立つかと問題にしました。 点は半径ゼロの円ですが、直線も半径ゼロの円だということはゼロ除算の結果導かれた発見です。すると、デカルトの円定理の式で、1/0 が出てきますが、それらはゼロと解釈すれば 良いとなります。それで、2つが円で、もう一つが共通接線である場合を考えると、図1-2のようですが、きれいに成り立っていることが分かります。 この辺の定理、事実は和算の得意とする分野で、デカルトの円定理も含めて和算でも広く知られていたということです。3つの円が、点や直線になった場合をすべて考えてみて何時でも成り立てば、デカルトの円定理は 一層美しいと言えます。 あらゆる場合を考えるのですが、2つが円で、一つが点の場合、それらに接する円は存在しないようですので、その場合デカルトの円定理は成り立たないようにみえます。
そこで、点では成り立たないので、小さな円の場合を考えて、その円を点にした場合にどうなるかを考えてみました。どんな小さな円でもデカルトの円定理は成り立っていますから、その小さな円の半径がゼロに近づいた場合を 考えてみるとどうなるかと考えたくなります。
数学的に厳格に議論するために、3つの円と内接円(外接円)をきちんと方程式で書いて議論しました。 円を点にするとき、 円の表現は孤立特異点を有していて、そこでは考えられないというのが 現代数学です。 ゼロ分の式はゼロのところで考えられないからです。 例えば、定理7の円の方程式で、z = 1,-1 の場合が考えられる。そこで、意味のある図形が出てくる。 ゼロ除算算法では孤立特異点で有限確定値を与えることができますので、今まで考えられなかった特異点で考えみました。― 無限の彼方が、特異点に成る場合も多い。その結果、驚嘆すべきことが起きていることが分かりました。(この辺の記述は厳密な表現より情念に思いを入れました)。
その特異点から、点円原点と、赤い円と青い円が出て来ることが分かりました。点がこれらの3つに分かれて出てきたという実に面白い現象です。 原点の場合にはデカルトの定理が成り立ちませんが、赤い円では、何とデカルトの円定理が成り立っていることが、ゼロ除算算法での計算の結果から確認できます。 青い円は美しい状況に置かれた円ですが、それは点に近づけた円が、突然、元の2つの円に外接する、しかもちょうどそれらの円を直径にする円に変形したと解釈すると、ちょうど内接する円が 緑の円で、デカルトの定理が成り立っているという、驚嘆すべき現象です。
点に成って定理が成り立たない場面で、点が突然変異を起こして定理をそのまま成り立たせている現象が現れたと発想すると、この現象は世の一般的な現象における新規な現象として注目すべきではないでしょうか。 見かけ上成り立たない場合、そこが変形して成り立たせる世界が存在する。 ― ものは燃焼で変形する、変形以前のあるものは変形してもそのまま、引き継がれている。意味深長では ないだろうか。― 山根現象を想起して下さい。 ― これは、運動エネルギーが一定であったものが ある時、物質は突然消えて、物質は消えて運動エネルギーが熱エネルギーに変化する現象を表しています。
赤い円は、美しいので、その分野の有名なバーコフの円と呼ばれる円ですが、2つの円に直交していますが、点に近づいていくとき、 円は接していたのですが、出てきた円は接するのではなくて、直交でしょうか。 実に面白いことは ゼロ除算が発見した典型的な結果として、y軸の勾配はゼロ、\tan(\pi/2) =0 ですから、バーコフの円は2つの円に接しているということを述べていますから、 堪らなく楽しいと言えます。― 直交は接していると解釈できるという新発見です。 緑の円は美しく3つの円に接しています。
論文では、あらゆる場合を考えたと述べていますので、3つの円が3つの点でも、3本の直線の場合も考えて、デカルトの定理は成り立っていると述べていますので、さらに面白いです。それには、ゼロの意味を考えてゼロとは何かを発見する必要が有ります。
以 上
2017.12.29.14:17 アーカイブ審査の上、公表された。超古典的な考えに間違いがあると書いてあるので、担当者は慎重に扱った。http://arxiv.org/abs/1712.09467
再生核研究所声明 404(2017.12.30):
ゼロ除算の現状 ― 総合的な印象
ゼロ除算の著書を出版すべく執筆をしている。700件を超えるメモ、記録を参照しながら一応の素案、原案を152ページに纏めた。ゼロ除算発見4周年を目前にしている。そこで、ふと思い湧く印象について述べて置きたい。
ゼロ除算発見 4周年 目前で、数理論の内容は初歩数学であるから、全体が何もかも当たり前に思え、700件を超える知見も当たり前で、著書は簡潔に纏め切れると感じてきた。そのような折り、学位論文で提起、最初の著書で真正面から取り上げ、論じ、未解決の問題と述べてきた超難問が解けたとの論文が 北京大学 のQi'an Guan氏から送られてきた。秀才の関係者も解けず、関与する数学者ももはや世界に存在せず、従ってもはや300年以上も もう解決できないだろうと考えてきた。最初の著書出版1988年からでもちょうど30年を迎えている。全く予想できない発想、深い手段、複雑な構造、このような全く新奇な数学に驚嘆すると共に 北京大学の基礎の深さ、底力の大きさに驚嘆させられ、高貴な独創性、創造性、発想に感銘を受けている。 このような衝撃は友人の山田陽氏の研究などにも見られたが稀なる経験である。
この衝撃的な深い研究、高貴な理論に感銘している折りに、自らの著書、論文の位置づけについて思いを巡らすこととなった。
まずは、ゼロ除算の論理が、ゼロ除算の拓いた世界が当たり前と思える内容であるが、内容がアリストテレス、ユークリッド以来の世界観を変えるものである。 数学ではゼロ除算は未定義、不定性、不可能性が世の定説であるが、天才たちのいろいろな関与、昨年でも2編の大論文が発表されている。 ゼロ除算の永い、神秘的な歴史を回想すると、内容の意味の大きさと、理論の簡素さの大きな隔たりに、驚嘆させられる。極めて簡単な発見が、世界観の変更を要求している:
無限遠点はゼロで表される。すべての直線は原点を通り、ユークリッドの公理は成り立たない。 y軸の勾配はゼロ、\tan(\pi/2) =0であること。解析関数は孤立特異点で固有な値を取り、それが 重要な意味を持つこと。ゼロ除算の影響は初歩数学全般におよび、現代数学には大きな欠落、欠陥があるから、全般的に補充し、完全化されるべきである。極めて簡単な数学が、発見されて大きな影響を広く与える事実である。この差の大きさを 現代数学の目も眩むような高度さ、深さ、徹底した論理の厳格さの視点から思うとき、誠に奇妙な事件に思われて仕方がない。 余りにも大きな新規な結果に、そんなものは受け入れられないとは 多く人の印象であり、論文を相当発表、学会や国際会議でも講演を行っているにも関わらず、4年近く経っても公認の形にはなっていないようである。世間では新しい、基本的な数学が知られていないと言える。―― 我々の空間の認識がアリストテレス、ユークリッド以来 間違っているにも関わらずである。
ゼロ除算 0/0=0は 算術の創始者、ゼロの発見者 Brahmagupta (598 -668 ?) によって定義されていたにも関わらず、それは間違いであるとして1300年を超えて続いており、さらに、新たな説、論文が出版されている実におかしな状況にある。しかるに我々は ゼロ除算は既に当たり前であるとして、沢山の証拠を掲げて解説、説得を続けているが、理解は着実に進んでいるにも関わらず、理解は深くはなく、遅々として夜明け前のぼんやりしているような時代であると言える。数学者は、真実に忠実でなければならないのに、数学の研究では、論理には、感情や私情、予断、思い込みを入れてはならないのに、それが、数学の精神であるはずなのに かえって、数学者が予断と偏見、私情に囚われている状況が皮肉にも良く見える。 それは、ゼロ除算の理解が、素人の方の方が理解しやすい状況に現れている。 ― 数学は 絶対的に 厳格な論理でできているはずであるから、基礎が揺るぐはずがないとの信仰、信念を有しているためであろう。しかしながら、人間精神の開放と自由を求めて、非ユークリッド幾何学の出現から、人は大いに学ぶべきではないだろうか。 絶えず、人は何でも疑い、 と 問うべきである。 ― 人間存在の意義は 真智への愛にある。
今回の著書原案では一通り全体を纏めてみたが、全体の様子は、まずゼロ除算の導入をきちんと行い、論理をしっかりさせ、確立させ、歴史的な背景を述べ、ゼロ除算算法の考え方とその有効性を示す具体例を沢山述べた。それで、今まで、考えなかった世界の自然な大きな世界が良く見える様になるだろう。この時、我々の数学が、空間の認識が、如何に不完全なものであったかを 明白に理解されるだろう。
ゼロ除算のこの著書は 第1歩であり、いわば初歩入門書である。 本格的なゼロ除算の研究はここから始まると考えたい。Qi'an Guan氏のような数学者や、物理学者が現れて、ゼロ除算の世界は、面目を一新させ、目も眩むほどに発展させるだろうことを 信じて疑わない。
以 上
再生核研究所声明 138 (2013.10.18): 大中国、中国の印象 ― 母なる大国、中国に郷愁を感じた
(2013.10.10.16:20 纏めたいと思っていたが、全体の構想が休んでいるときに湧いた。)
9月、学習理論の国際会議に招待され、会議は Hangzhou 空港から、車で50分くらいのところにある 由緒ある街、Shaoxing市、Jishan Hotel で 開催された。観光は 由緒ある街ではなく、1000年を越える桂で有名な大公園で 桂林 お茶や散策で過ごした。それで、ホテルの極近くと、1回大きなホテルでの晩餐会に出かけた以外、多くの運河を持つ、面白そうな街を良くは見られなかった。中国は大国で、今までに、深圳、香港、上海、マカオしか訪れていなかったので、中国の印象と言っても、局所的な視点であることに留意して頂きたい。しかし、今回の訪問は 中国のいわば中枢、文化的に古い町のひとつであるから、大中国の理解を深められるのではと 大きな期待を持っていた。
まず、触れたいのは、何時でも感じて来たことであるが、民族、人種が 概ね半数位は 日本人と全く同様であると言うことである。親族や友人と全く同様、素敵な人たちが多くいて、外国の感じがしないと言うことである。奈良や京都に行くと 特別な郷愁を感じるもの であるが、より古い時代の同じような郷愁を深く感じた。漢字、いろいろな絵、風景に本当に懐かしさと共感、共鳴をし、人びととも情が通じるのが良く分る。― 日本では 中国人嫌いや、蔑視の風潮が少しあるが、とんでもない誤解であると言える。― これらの事実は、留学生の一部の人たちの悪い印象と、マスコミの偏見や、政治的な意図を持った報道の影響ではないだろうか ― 外国に おべっかをつかったような 心無い政治家の 暴言も印象深い。― 兄弟、姉妹、親戚、友人の 素敵な人たちと そっくりな人たちのいる中国と 仲違いするなど、同族争いと同じで、自分の故郷と喧嘩する ようなものである。日本が侵略したことを思い、心を痛めた。漢字の偉大なる文化と影響を深く感じた。中国は 本当に、日本の故郷である。民族的にも、文化的にも、先祖様の国であると言える。
次に触れたいのは、食の豊富さである。多様な食材が出て、びっくりさせられる。日本の食の原型を沢山見出すことも出来る。特に、お茶が 特別に効果が有って、頂くと気分が爽快になり、いろいろな考えが湧いたり、元気が出て来る、体が喜んで、生き生きしてくるのが良く分かる。中国の食の多様性、豊かさには 何時も驚かされる。広い中国から集められていることが良く分る。
中国は街づくりで、どんどん開発、発展していて、公害対策にも熱心に取り組んでいることが良く分かる。しかし、やはり残念なのは 大気汚染、排水など 社会基盤の整備の遅れである。大中国は 日本の10倍国であるから、 西欧並みに成ったら 地球が持たないなどの危惧さえ起きる訳で、短期的な判断は 禁物であり、大きな視野で 中国を捉える必要が有るのではないだろうか。 大混乱が起きて まだ1世代も経っていない現実を考慮する必要がある。
日本は、熱烈、日本の母なる 大国中国と友好関係を深めて、世界史の発展を志向したい。
もちろん、反米など論外であり、中国とも アメリカとも、仲良くである(再生核研究所声明 25: 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて)。
まこと、人間は、神によって創造され、共通の基礎を持っているように感じられる。世界のどこに行っても、人間は同じように考えたり、悩んだり、気持ち が通じてしまう。
和によって、世界史を進化、発展させたい。
(暖かく迎え、歓迎して頂いた方々に心から謝意を表したい、人々は親切で、人懐っこいと感じた。)
以 上
再生核研究所声明 411(2018.02.02): ゼロ除算発見4周年を迎えて
ゼロ除算100/0=0を発見して、4周年を迎える。 相当夢中でひたすらに その真相を求めてきたが、一応の全貌が見渡せ、その基礎と展開、相当先も展望できる状況になった。論文や日本数学会、全体講演者として招待された大きな国際会議などでも発表、著書原案154ページも纏め(http://okmr.yamatoblog.net/)基礎はしっかりと確立していると考える。数学の基礎はすっかり当たり前で、具体例は700件を超え、初等数学全般への影響は思いもよらない程に甚大であると考える: 空間、初等幾何学は ユークリッド以来の基本的な変更で、無限の彼方や無限が絡む数学は全般的な修正が求められる。何とユークリッドの平行線の公理は成り立たず、すべての直線は原点を通るというが我々の数学、世界であった。y軸の勾配はゼロであり、\tan(\pi/2) =0 である。 初等数学全般の修正が求められている。
数学は、人間を超えたしっかりとした論理で組み立てられており、数学が確立しているのに今でもおかしな議論が世に横行し、世の常識が間違っているにも拘わらず、論文発表や研究がおかしな方向で行われているのは 誠に奇妙な現象であると言える。ゼロ除算から見ると数学は相当おかしく、年々間違った数学やおかしな数学が教育されている現状を思うと、研究者として良心の呵責さえ覚える。
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点では なくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論にも確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の発展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば神の意志を知りたいということである。そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。
4周年、思えば、世の理解の遅れも反映して、大丈夫か、大丈夫かと自らに問い、ゼロ除算の発展よりも基礎に、基礎にと向かい、基礎固めに集中してきたと言える。それで、著書原案ができたことは、楽しく充実した時代であったと喜びに満ちて回想される。































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