2014年5月13日火曜日

W杯日本代表23人決まる 実績重視の顔ぶれ

W杯日本代表23人決まる 実績重視の顔ぶれ
5月12日 14時27分

W杯日本代表23人決まる 実績重視の顔ぶれ
来月開幕するサッカーワールドカップブラジル大会に臨む日本代表メンバー23人が12日発表され、これまでの実績を重視した顔ぶれとなりました。
日本代表メンバーは12日午後2時から都内でザッケローニ監督が会見して発表しました。

ゴールキーパーは3人

ベルギー1部リーグ、スタンダールの川島永嗣選手は2大会連続2回目です。
浦和レッズの西川周作選手とFC東京の権田修一選手は初めてのワールドカップです。

ディフェンダーは8人

ガンバ大阪の今野泰幸選手は2大会連続2回目です。
ジュビロ磐田の伊野波雅彦選手は初出場。
イタリア1部リーグインテルの長友佑都選手は2大会連続2回目です。
FC東京の森重真人選手は初出場。
ドイツ1部リーグ、シャルケの内田篤人選手は2大会連続2回目です。
イングランドプレミアリーグ、サウサンプトンの吉田麻也選手。
ドイツ1部リーグ、ハノーバーの酒井宏樹選手。
ドイツ1部リーグ、シュツットガルトの酒井高徳選手はいずれも初出場です。

ミッドフィールダーは4人

ガンバ大阪の遠藤保仁選手は3大会連続3回目です。
ドイツ1部リーグ、ニュルンベルクの長谷部誠選手は2大会連続2回目です。
サンフレッチェ広島の青山敏弘選手とセレッソ大阪の山口蛍選手は共に初出場です。

フォワードは8人

川崎フロンターレの大久保嘉人選手は2大会連続2回目です。
ドイツ1部リーグ、マインツの岡崎慎司選手、イタリア1部リーグミランの本田圭佑選手も2大会連続2回目です。
イングランドプレミアリーグ、マンチェスターユナイテッドの香川真司選手は初出場。
ドイツ1部リーグ、ニュルンベルクの清武弘嗣選手。
セレッソ大阪の柿谷曜一朗選手。
横浜F・マリノスの齋藤学選手。
そしてドイツ2部リーグ、1860ミュンヘンの大迫勇也選手も初出場です。

初出場は14人

23人のうち初出場は14人でした。
また、海外でプレーする選手は過去最も多い、12人となりました。
選手は今月21日に集合し、鹿児島県指宿市で合宿を行ったあと、27日の壮行試合でキプロス代表と対戦します。
その後、アメリカで合宿し、強化試合2試合を行ったあとブラジルに入り、来月14日のコートジボワールとの1次リーグ初戦に臨みます。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140512/k10014382651000.html
再生核研究所声明802012.03.20)  挑戦 とは 何か

(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)
およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 
されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理  最も大事なこと)。
さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12 人生、世界の存在していることの意味について)。 
そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。
まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。
次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。
次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。
挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。

以 上


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