2016年2月29日月曜日

凡人か、天才か。この「7つの質問」をチェック!

凡人か、天才か。この「7つの質問」をチェック!

2016年2月29日 10時8分 TABI LABO 
凡人か、天才か。この「7つの質問」をチェック! 
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「Elite Daily」に掲載された、ブロガーのJonathan Emmen氏による「天才チェック」を紹介!これまでの偉人などを見ても、いくつか共通点があるのだとか。以下の7つの質問、あなたはいくつ当てはまるでしょうか?参考にしてみてね。

01.
夢中になると
周りが見えなくなる
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自分のプロジェクトやアイデアで頭がいっぱいになり、他の一切に興味をそそられなくなるーー。これは天才たちの特徴の一つ。それだけ集中力が高い証拠です。

彼らがたびたび「いま何をしているのか」「何のためにここにいるのか」など、基本的なことをぽっかり忘れてしまうのはこのため。

02.
ブツブツと
自分に話しかけている
独り言でからかわれても、心配無用。常に問題を抱え、問答し、アイデアを捻りだしている現れなのでは?

03.
薬物やドラッグを
試した経験がある
何もドラッグを摂取したからといって才能を発揮できるわけではありませんが、中毒や依存に苦しんだ天才たちのリストを作るのはカンタンでしょう。

もしこの質問にYESと答えたなら、境遇や体験が天才たちと一部重複しているーーとは少なくとも言えるかもしれません。

04.
読書に
取り憑かれている
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SF、マンガ、ノンフィクション、研究論文などなど。一つのジャンルでも、幅広く知っている場合でもよし。さらには本である必要さえないかもしれません。あらゆる情報を延々と調べては、その共通点や、整合性を検証し続けているのです。

05.
脳トレが大好き!
ゲームが大好きで、言葉遊びや雑学クイズを頻繁にやっている。というあなたは天才予備軍!多くの偉人たちも、習慣的に数独やクロスワードパズルをやっていましたから。

06.
「興味・関心の幅が広いね」
と、周りからよく言われる。
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分からないことがあればすぐに質問したり、検索したり。ただ材料を混ぜるだけの簡単なレシピだったとしても「もっと詳しく知りたい」と貪欲に追求する姿勢がありますか?天才の好奇心は無尽蔵です!

07.
考え過ぎてしまい
頭が「?」でいっぱいに
天才たちのことを「自信に満ち溢れている人たち」と思ったら大間違い。実際は常に疑問に駆られているものです。

彼らは、物事に白か黒かのようなハッキリとした答えがないことを知っています。だからこそ、「考える」をやめません。その習慣こそ、知識を増やし、成長へと繋げている大きなヒントなのではないでしょうか。

Licensed material used with permission by Elite Daily
http://news.livedoor.com/article/detail/11235760/

再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観

ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、ゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、

関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が 原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。

経過などは 次を参照:

再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案

これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば

F = G mM/r^2。

rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係を捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、正と負、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:

[PDF]
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。

における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。

文献:

M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.

S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAM

以 上


再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界

(12月10日16時 論文精読を一通り通読したら無性に書きたくなって始めたものである)
これは声明166の延長にあるので、まず、その要点を振り返っておこう: ―
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観:
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、あるいは割り算の固有の意味から、何でもゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が数値で0、すなわち、原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係と捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅広く 面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。―
ゼロ除算の、無限とゼロの微妙な関係に驚嘆している間に、空がどんどん晴れてくるように新しい世界の、視野がどんどん広がり、驚きの感情が湧いている。言わば、明暗が、両極端のように、明、暗と分けられたものではなく、微妙な密接な、関係である。その内容は広がりと深さを持っていて簡単に表現できるものではない。また、みえた世界をそのまま表現すれば、現在でもなお、天動説が地動説に変わったときのように、また、非ユークリッド幾何学が出現したときのように 世は騒然となるだろう。そこで、注意深く、各論を、断片を 折をみて、表現しよう。
そこで、初回、生命の本質的な問題、生と死の問題をすこし触れたい。
食物連鎖の生物界の冷厳な事実、食われるものと食うものの立場。声明36で大きな命の概念で全体を捉えようとしたが、それらは殆ど等価の立場ではないだろうか。実際、猫がねずみをくわえて誇らしげに通りすぎていくのを見た。ところが奇妙にも、ねずみは歓喜の喜びにひたって悠然としてくわえられているようにみえた。自然の理。蛇が燕の巣を襲い、全滅させられたが、蛇は悠然と上手くいきました、ごめんなさいというような表情で消えていった。襲われた燕たちは一瞬で魔神に掛かったように気を失い、蛇に飲み込まれてしまった。少し、経つと元気に巣立ち厳しい自然の中を南国まで飛んで行っていろいろ苦労するよりは、蛇のお腹で 安らかな終末の方がよほどましだというような情感を覚えた。もちろん、ヒナを襲われた親鳥は切なく天空を舞っていたが、やがて、ヒナたちは最も良い生涯を終えたと、本能的に感じて、新しい生命活動に、励み出している。このようなことを何万年と繰り返してきたのが、燕と蛇の関係である。暗(あん)という面には ちょうど明(めい)と同じような明るい面があるのではないだろうか。明暗は対立概念ではなくて、微妙に調和がとれているのではないだろうか。ユニバースにおける全体の調和を観、述べている。人類が生命のただ延長を志向しているとすれば、それは、古い世界観に基づく無明の世界だろう。夜明けを迎えた、在るべき世界観とは 生も死も殆ど等価であり、共に愛すべきものであるということである。在るも良い、消えるも良い。ゼロ除算の驚きは そのような感性を育てているように感じられる。死からの開放に寄与するだろう。生命の誕生は素晴らしく、喜びと夢が湧いてきて、大きな光が差してくるようである。世界が開かれてくる。われわれの終末も似たようなものではないだろうか。大きな世界、私たちをこの世に送り込んだものの 大きな愛に満ちた世界にとけこんでいくようなものではないだろうか。この意味で、あらゆる生命は 大きな愛に包まれて、 支えられていると感じられるだろう。これは神の予感を述べている。 私たちは、愛されている(愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。)。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/











ゼロ除算(division by zero)

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ゼロ除算
ゼロ除算(ゼロじょざん、division by zero)は、0 で除す割り算のことである。このような除算は除される数を a とするならば、形式上は a⁄0 と書くことができるが、数学において、この式と何らかの意味のある値とが結び付けられるかどうかは、数学的な設定にまったく依存している話である。少なくとも通常の実数の体系とその算術においては、意味のある式ではない。
コンピュータなど計算機においても、ゼロ除算に対するふるまいは様々である。たとえば浮動小数点数の扱いに関する標準であるIEEE 754では、数とは異なる無限大を表現するものが結果となる。他には、例外が起きてプログラムの中断を引き起こすかもしれないし、例えばナイーブに取尽し法を実行しようとしたなら無限ループに陥るか、なんらかの最大値のようなものが結果となるかもしれない。
計算尺では、対数尺には0に相当する位置が存在しない(無限の彼方である)ため不可能である。
目次 [非表示]
1 算数的解釈
2 初期の試み
3 代数学的解釈
3.1 ゼロ除算に基づく誤謬
4 解析学的解釈
4.1 ゼロ除算と極限
4.2 リーマン球面
5 コンピュータにおけるゼロ除算
6 ポップカルチャー
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
算数的解釈[編集]
算数レベルでは、除算は何らかの物の集合をそれぞれ同数になるように分けることで説明される。例えば、10個のリンゴを5人で分ける場合、各人は 10 ÷ 5 = 2個のリンゴを受け取ることになる。同様に、10個のリンゴを1人で分ける場合、各人は 10 ÷ 1 = 10個のリンゴを受け取る。
この考え方を使ってゼロ除算を説明できる。10個のリンゴを0人で分けるとする。各人は何個のリンゴを受け取るだろうか? 10 ÷ 0 を計算しようとしても、元の設問自体が無意味なので無意味となる。この場合、各人が受け取る個数は、0個でも、10個でも、無限個でもない。なぜなら、元々受け取るべき人はいないからである。以上のように算数レベルで考える場合、ゼロ除算は無意味または未定義となる。
ゼロ除算の未定義性を理解する別の方法として、減法の繰り返し適用という考え方がある。すなわち、余りが除数より少なくなるまで除数を繰り返し引くのである。たとえば 13 ÷ 5 を考えると、13 から 5 は 2 回引くことができ、余りは 3 となる。結果は 13 ÷ 5 = 2 あまり 3 などと記される。ゼロ除算の場合、ゼロを何度引いても余りがゼロより小さくなることはないため、無限に減法を繰り返すだけとなる。
初期の試み[編集]
628年にブラーマグプタが著した『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』では、0 を数として定義し、その演算結果も定義している。しかし、ゼロ除算の説明は間違っていた。彼の定義に従うと代数的不合理が生じることを簡単に証明できる。ブラーマグプタによれば、次の通りである。
「正または負の数をゼロで割ると、分母がゼロの分数となる。ゼロを正または負の数で割ると、ゼロになるか、またはゼロを分子とし有限数を分母とする分数になる。ゼロをゼロで割るとゼロになる」
830年、マハーヴィーラはブラーマグプタの間違いを著書 『ガニタ・サーラ・サングラハ』で以下のように訂正しようとして失敗した。
「数はゼロで割っても変化しない」
バースカラ2世は n⁄0 = ∞ と定義することで問題を解決しようとした。この定義はある意味では正しいが、後述の「ゼロ除算と極限」に示す問題もあり、注意深く扱わないとパラドックスに陥る。このパラドックスは近年まで考察されなかった[1]。
代数学的解釈[編集]
ゼロ除算を数学的に扱う自然な方法は、まず除算を他の算術操作で定義することで得られる。整数、有理数、実数、複素数の一般的算術規則では、ゼロ除算は未定義である。体の公理体系に従う数学的体系では、ゼロ除算は未定義のままとされなければならない。その理由は、除法が乗法の逆演算として定義されているためである。つまり、a⁄b の値は、bx = a という方程式を x について解いたときに値が一意に定まる場合のみ存在する。さもなくば、値は未定義のままとされる。
b = 0 のとき、方程式 bx = a は 0x = a または単に 0 = a と書き換えられる。つまりこの場合、方程式 bx = a は a が 0 でないときには解がなく、a が 0 であれば任意の x が解となりうる。いずれにしても解は一意に定まらず、a⁄b は未定義となる。逆に、体においては a⁄b は b がゼロでないとき常に一意に定まる。
ゼロ除算に基づく誤謬[編集]
ゼロ除算を代数学的記述に用いて、例えば以下のように 1 = 2 のような誤った証明を導くことができる。
以下を前提とする。
0 \times 1 = 0\quad
0 \times 2 = 0\quad
このとき、次が成り立つ。
0 \times 1 = 0 \times 2
両辺をゼロ除算すると、次のようになる。
\textstyle \frac{0}{0}\times 1 = \frac{0}{0}\times 2
これを簡約化すると次のようになる。
1 = 2\quad
この誤謬は、暗黙のうちに 0⁄0 = 1 であるかのように扱っていることから生じる。
上の証明が間違いであることは多くの人が気づくと思われるが、これをもっと巧妙に表現すると間違いを分かりにくくできる。例えば、1 を x と y に置き換え、ゼロを x - y、2 を x + y で置き換える。すると上記の証明は次のようになる。
(x-y)x = x^2-xy = 0
(x-y)(x+y) = x^2-y^2 = 0
したがって、
(x-y)x = (x-y)(x+y)
両辺を x - y で割ると次のようになる。
x = x+y
x = y = 1 を代入すると、次のようになる。
1 = 2
解析学的解釈[編集]
ゼロ除算と極限[編集]

関数 y =
1
x
のグラフ。x が 0 に近づくと、y は無限大に近づく。
直観的に
a
0
は
a
b
で 正数b を 0 に漸近させたときの極限を考えることで定義されるように見える。
a が正の数の場合、次のようになる。
\lim_{b \to 0+} \frac{a}{b} =+\infty
a が負の数の場合、次のようになる。
\lim_{b \to 0+} \frac{a}{b} =-\infty
したがって、a が正のとき
a
0
を +∞、a が負のとき -∞ と定義できるように思われる。しかし、この定義には2つの問題点がある。
第一に、正と負の無限大は実数ではない。実数の範囲内で考えたい場合、この定義には意味がない。この定義を使いたければ、何らかの形で実数を拡張する必要がある。
第二に、右側から極限に漸近するのは恣意的である。左側から漸近して極限を求めた場合、a が正の場合に a⁄0 が -∞ となり、a が負の場合に +∞ となる。これを等式で表すと次のようになる。
+\infty =\frac{1}{0} =\frac{1}{-0} =-\frac{1}{0} =-\infty
このように、+∞ と -∞ が等しいことになってしまい、これではあまり意味がない。これを意味のある拡張とするには、「符号のない無限大」という概念を導入するしかない。
実数に、正負の区別が有る、あるいは無い、無限大が含まれるように拡張したものが拡大実数である。アフィン拡大実数では区別が有り、射影拡大実数では区別が無い(無限遠点)。
物理学においてはブラックホールや宇宙の始まりを考察する際に質量/体積(密度)の体積が 0 となる特異点が発生するためゼロ除算による無限大発散の難問が生じている。この場合質量・体積は正であるため正の無限大への発散となる。
直接のゼロ除算以外では、三角関数の tan 90° などの計算においても、同様の問題が生じてしまう。
0
0
についても、極限
\lim_{(a,b)\to (0,0)} \frac{a}{b}
は存在しないため、うまく定義できない。さらに一般に、x が 0 に漸近すると共に f(x) も g(x) も 0 に漸近するとして、極限
\lim_{x\to 0} \frac{f(x)}{g(x)}
を考えても、これは任意の値に収束する可能性もあるし、収束しない可能性もある。したがって、この手法では 0⁄0 について意味のある定義は得られない。
リーマン球面[編集]
リーマン球面は、複素平面に無限遠点 ∞ の1点を付け加えて得られるもの C ∪ {∞} である。上記実射影直線(射影拡大実数)の複素数版とも考えられる。リーマン球面は複素解析において重要な概念であり、演算は例えば 1/0 = ∞、1/∞ = 0、などとなるが、∞+∞ や 0/0 は定義されない。
コンピュータにおけるゼロ除算[編集]

SpeedCrunchという電卓ソフトでゼロ除算を実行したときの様子。エラーが表示されている。
現在のほとんどのコンピュータでサポートされているIEEE 754 浮動小数点に関する標準規格では、全ての浮動小数点演算を定義している。ゼロ除算も例外ではなく、どういう値になるかが定義されている。IEEE 754の定義によれば、a/0 で a が正の数であれば、除算の結果は正の無限大となり、a が負の数であれば負の無限大となる。そして、a も 0 であった場合、除算結果は NaN(not a number、数でない)となる。IEEE 754 には -0 も定義されているため、0 の代わりに -0 で除算をした場合は、上述の符号が反転する。
整数のゼロ除算は通常、浮動小数点とは別に処理される。というのは整数ではゼロ除算の結果を表す方法がないためである。 多くのプロセッサは整数のゼロ除算を実行しようとすると例外を発生させる。この例外に対する対処がなされていない場合、ゼロ除算を実行しようとしたプログラムは強制終了(アボート)される。これは、ゼロ除算がエラーと解釈されるためで、エラーメッセージが表示されることも多い。
1997年、民生品の応用を研究していたアメリカ海軍はタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦ヨークタウンを改造して主機のガスタービンエンジンの制御にマイクロソフトのソフトウェアを採用したが、試験航行中にデータベースのゼロ除算が発生してソフトウェアが例外を返し、結果として主機が停止、回復するまでカリブ海を2時間半ほど漂流する事態となっている[2]。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%AD%E9%99%A4%E7%AE%97


再生核研究所声明287(2016.02.12) 
神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算

(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:

論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。

直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:

Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29) ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday

詳しい解説も次で行っている:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku

以 上


何故ゼロ除算が不可能であったか理由

1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。


再生核研究所声明199(2015.1.15) 世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0

ゼロ除算は 西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来、問題とされてきた。ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である、四則演算、加法、減法、乗法、除法において、除法以外は何時でも自由にできるのに、除法の場合だけ、ゼロで割ることができないという理由で、さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって、世界各地で、今でも絶えず、問題にされていると考えられる。― 小学生でも どうしてゼロで割れないのかと毎年、いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか.

これについては、近代数学が確立された以後でも、何百年を越えて 永い間の定説として、ゼロ除算は 不可能であり、ゼロで割ってはいけないことは、初等教育から、中等、高校、大学そして学術界、すなわち、世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。

しかるに2014年2月2日 ゼロ除算は、可能であり、ゼロで割ればゼロであることが、偶然発見された。その後の経過、背景や意味付け等を纏めてきた:

再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について

ところが、気づいてみると、ゼロ除算は当たり前なのに、数学者たちが勝手に、割り算は掛け算の逆と思い込み、ゼロ除算は不可能であると 絶対的な真理であるかのように 烙印を押して、世界の人々も盲信してきた。それで、物理学者が そのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情は ニュートンの万有引力の法則にさえ見られる。
さらに、誠に奇妙なことには、除算はその言葉が表すように、掛算とは無関係に考えられ、日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた、古い、永い伝統がある。その考え方から、ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した ― ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり、ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学、物理、文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は 数学の自由な精神で 好きなことで、考えられることは何でも考え、不可能を可能にし、分からないことを究め、真智を求めるのが 数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で 絶対は変わり得ることを学び、いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点から ゼロ除算の解明の遅れは 奇妙な歴史的な事件である と言えるのではないだろうか。
これは、数学を超えた、真実であり、ゼロ除算は不可能であるとの 世の理解は間違っている と言える。そこで、真実を世界に広めて、人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は 堪らなく楽しい 新世界 を拓いていると考える。
以 上

1+0=1 1ー0=0 1×0=0  では、1/0・・・・・・・・・幾つでしょうか。
0???  本当に大丈夫ですか・・・・・0×0=1で矛盾になりませんか・・・・

1/0=∞ (これは、今の複素解析学) 1/0=0 (これは、新しい数学で、Division by Zero)

ゼロ除算は、不可能であると誰が最初に言ったのでしょうか・・・・

7歳の少女が、当たり前であると言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。

割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???

世界中で、ゼロ除算は 不可能 か 
可能とすれば ∞  だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。

小学校以上で、最も知られている数学の結果は何でしょうか・・・
ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。
https://www.pinterest.com/pin/234468724326618408/

原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・


無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・

加(+)・減(-)・乗(×)・除(÷) 除法(じょほう、英: division)とは、乗法の逆演算・・・・間違いの元 乗(×)は、加(+) 除(÷)は、減(-)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849/a37209195?sort=1&fr=chie_my_notice_canso

0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。

アラビア数字の伝来と洋算 - tcp-ip

http://www.tcp-ip.or.jp/~n01/math/arabic_number.pdf
明治5年(1872)
割り算のできる人には、どんなことも難しくない

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。

ベーダ・ヴェネラビリス

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞ 若しくは未定義 →1/0=0
地球人はどうして、ゼロ除算1300年以上もできなかったのか?  2015.7.24.9:10 意外に地球人は知能が低いのでは? 仲間争いや、公害で自滅するかも。 生態系では、人類が がん細胞であった とならないとも 限らないのでは?

ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように

Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
https://notevenpast.org/dividing-nothing/
Einstein's Only Mistake: Division by Zero
http://refully.blogspot.jp/2012/05/einsteins-only-mistake-division-by-zero.html

Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and ...
gsjournal.net/Science-Journals/.../Download/2084
このページを訳す
Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and Newton's Equations in Classical Mechanics. Ajay Sharma physicsajay@yahoo.com. Community Science Centre. Post Box 107 Directorate of Education Shimla 171001 India.

http://gsjournal.net/Science-Journals/Research%20Papers-Relativity%20Theory/Download/2084


Reality of the Division by Zero $z/0=0$
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html


ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_

地球平面説→地球球体説
地球が丸いと考えた最初の人-ピタゴラス
地球を球形であることを事実によって証明しようとした人-マゼラン
地球を球形と仮定して初めて地球の大きさを測定した人-エラトステネス
天動説→地動説 アリスタルコス=ずっとアリストテレスやプトレマイオスの説が支配的だったが、約2,000年後にコペルニクスが再び太陽中心説(地動説)を唱え、発展することとなった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B9 …
何年かかったでしょうか????

1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????


地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか???


1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか???

ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997


ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。

∞÷0はいくつですか・・・・・・・

∞とはなんですか・・・・・・・・

分からないものは考えられません・・・・・


Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/
1人当たり何個になるかと説いていますが、1人もいないのですから、その問題は意味をなさない。
よってこれは、はじめから問題になりません。
ついでですが、これには数学的に確定した解があって それは0であるという事が、最近発見されました。

再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?

正確に次のように公開して複素解析とゼロ除算の研究を開始した:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0 関係者:
複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界です。しかしながら、1/0=0 は 動かせない真実です。それで、勇気をもって進まざるを得ない:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
私には 無理かと思いますが、世の秀才の方々に 挑戦して頂きたい。空論に付き合うのはまっぴらだ と考える方も多いかと思いますが、面白いと考えられる方で、楽しく交流できれば幸いです。宜しくお願い致します。 添付 物語を続けたい。敬具 齋藤三郎
2014.4.1.11:10

上記で、予想された難問、 解析関数は、孤立特異点で確定値をとる、が 自分でも予想しない形で解決でき、ある種の実体を捉えていると考えたのであるが、この結果自体、世のすべての教科書の内容を変える事件であるばかりではなく、確立されている無限遠点の概念に 新しい解釈を与えるもので、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6月、帰国後、気に成っていた、金子晃先生の 30年以上前に購入した超函数入門の本に 極めて面白い記述があり、佐藤超関数とゼロ除算の面白い関係が出てきた。さらに 特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられているが、面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていることが分かった。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
現在まで、添付21ページの論文原稿について 慎重に総合的に検討してきた。
そこで、問題の核心、ゼロ除算の発展の基礎は、次の論点に有るように感じられてきた:
We can find many applicable examples, for example, as a typical example in A. Kaneko (\cite{kaneko}, page 11) in the theory of hyperfunction theory: for non-integers $\lambda$, we have
\begin{equation}
x_+^{\lambda} = \left[ \frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}\right] =\frac{1}{2i \sin \pi \lambda}\{(-x + i0)^{\lambda}- (-x - i0)^{\lambda}\}
\end{equation}
where the left hand side is a Sato hyperfunction and the middle term is the representative analytic function whose meaning is given by the last term. For an integer $n$, Kaneko derived that
\begin{equation}
x_+^{n} = \left[- \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z) \right],
\end{equation}
where $\log$ is a principal value: $ \{ - \pi < \arg z < +\pi \}$. Kaneko stated there that by taking a finite part of the Laurent expansion, the formula is derived.
Indeed, we have the expansion, for around $ n$, integer
$$
\frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}
$$
\begin{equation}
= \frac{- z^n}{2\pi i} \frac{1}{\lambda -n} - \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z )
- \left( \frac{\log^2 (-z) z^n}{2\pi i\cdot 2!} + \frac{\pi z^n}{2i\cdot 3!}
\right)(\lambda - n) + ...
\end{equation}
(\cite{kaneko}, page 220).
By our Theorem 2, however, we can derive this result (4.3) from the Laurant expansion (4.4), immediately.
上記ローラン展開で、\lambda に n を代入したのが ちょうど n に対する佐藤の超関数になっている。それは、ゼロ除算に言う、 孤立特異点における解析関数の極における確定値である。これはゼロ除算そのものと殆ど等価であるから、ローラン展開に \lambda = n を代入した意味を、上記の佐藤超関数の理論は述べているので 上記の結果を分析すれば、ゼロ除算のある本質を捉えることができるのではないかと考えられる。
佐藤超関数は 日本で生まれた、基本的な数学で 優秀な人材を有している。また、それだけ高級、高度化しているが、このような初歩的、基本的な問題に関係がある事が明らかになってきた。そこで、佐藤超関数論の専門家の方々の研究参加が望まれ、期待される。また、関係者の助言やご意見をお願いしたい。
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として示していることである。
以 上

ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269

もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。


7歳の少女が、当たり前であると言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。


世界中で、ゼロ除算は 不可能 か 
可能とすれば ∞  だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。

1/0=∞ (これは、今の複素解析学) 1/0=0 (これは、新しい数学で、Division by Zero)

原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・

無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????

1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????

Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
https://notevenpast.org/dividing-nothing/
割り算のできる人には、どんなことも難しくない

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。

ベーダ・ヴェネラビリス

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年


数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_

multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。

0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。

ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_

ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・
1+1=2が当たり前のように


『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html … … →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、

1÷0=0
1÷0=∞・・・・数ではない
1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。

アラビア数字の伝来と洋算 - tcp-ip

http://www.tcp-ip.or.jp/~n01/math/arabic_number.pdf
明治5年(1872)

ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997

Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。

ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。

∞÷0はいくつですか・・・・・・・

∞とはなんですか・・・・・・・・

分からないものは考えられません・・・・・



Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/
1人当たり何個になるかと説いていますが、1人もいないのですから、その問題は意味をなさない。
よってこれは、はじめから問題になりません。
ついでですが、これには数学的に確定した解があって それは0であるという事が、最近発見されました。


Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and ...
gsjournal.net/Science-Journals/.../Download/2084
このページを訳す
Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and Newton's Equations in Classical Mechanics. Ajay Sharma physicsajay@yahoo.com. Community Science Centre. Post Box 107 Directorate of Education Shimla 171001 India.

http://gsjournal.net/Science-Journals/Research%20Papers-Relativity%20Theory/Download/2084











重力波だけではなかった! アインシュタインが予言した“終末”が恐すぎる 「第四次世界大戦後、人類はバケモノに…」 2016.02.28

重力波だけではなかった! アインシュタインが予言した“終末”が恐すぎる 「第四次世界大戦後、人類はバケモノに…」
2016.02.28

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関連キーワード:アインシュタイン, 予言, 白神じゅりこ, 神, 第三次世界大戦, 終末

■重力波って何?

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※イメージ画像:『アインシュタインの予言』(共立出版)
 天才物理学者であるアルベルト・アインシュタイン(1879~1955年)が、100年前に存在を予言した「重力波」。これまで観測が難しいとされてきたが、なんとアメリカの重力波検出器「LIGO」によって初めて「重力波」の検出に成功したのだ。これは「ノーベル賞級の成果」という。

「世紀の大発見」と世界的に報じられたが、サイエンスに縁遠い人々にとっては、その重要性がさっぱり分からない。「重力波」って、宇宙戦艦ヤマトの「波動砲」みたいなものなのだろうか…? なんて思う人も多いだろう。

「重力波」とは、質量を持つ物体が動いた時に、周囲の時間や空間が歪み、波のように伝わる現象である。我々人間や身の回りの物すべてには、「質量」があるため、手を回しても発生するのだが、その「重力波」は小さすぎて観測するのは非常に難しい。

 今回、直接観測されたのは、「地球から13億光年離れたふたつのブラックホールが合体した時に放出された重力波」であった。このブラックホールはそれぞれ、太陽の質量の36倍と29倍のもの。それが衝突・合体し、さらに巨大な62倍のブラックホールができた。しかし、これでも地球に伝わった「重力波」による時空の歪みは、地球から太陽の距離(約1億5000万 km)の間が、原子1個分変化する程度だったという。つまりは、メッチャデカイ規模の現象が観測されても、メッチャクチャ小さな反応しかないということだ。

 この反応を発見するために、世界中の研究機関が巨額の資金を投じて必死になっていたのだから、今回の成果は学術的には狂喜乱舞するものに違いない。

 ハッキリ言って今すぐ我々の生活に役立つことではない。だが「重力波」の観測成功で「時間や空間の伸び縮み」が実証された。これからの天文学の発展にもつながるだろう。

 アインシュタインが1916年に発表した時空・空間に関する理論、「一般相対性理論」でこれまで予言した以下の項目はすべて直接検証された。

・重力レンズ効果
・重力による赤方偏移
・水星の近日点移動
・時間の遅れ

 ただ、「重力波」は直接検証されなかったため、「アインシュタイン最後の宿題」ともいわれていたのである。しかし、やっと「重力波」の存在が証明された。アインシュタインの予言は、発表から奇しくも100年後に成就したのである。

 しかし、この「重力波」以外に、アインシュタインが人類に残した恐るべき終末予言をご存知であろうか?http://tocana.jp/2016/02/post_8979_entry.html


再生核研究所声明289(2016.02.26)  終末の心得

8歳の少年から、巨大素数の構造に興味があると聞いたときには驚かされた。生まれながらの感性と言えるものも確かにあるように感じられる。思えば、子どもの頃 星空を見るのが好きで、宇宙の営みの壮大さと人間の生涯の儚さを知って、そもそも人生の意義とは何だろうかという疑問を懐いたが そのころから永い歳月が夢のように過ぎた。気づいてみれば、何の変化も、進歩というほどのこともなく、在るように感じられる。しかしながら、結局,人生とはどのようでも結局は同じようなものであるという心境にいたれば、 それはそれで相当に良い状況であると言える。それは生まれたからには、人生を肯定したいという 誰しも懐くであろう心境だからである。
宗教関係者は あるいは宗教や信仰に興味を懐く人は、いろいろ心の準備や人間の在り様の心構えを,あるいはそのための修行の必要性を感じるかも知れない。しかし 結局はみな同じようではないだろうか。心の在りようには個性があって それぞれに 自分に合ったように考えるのが良いのではないだろうか。
そこで、内省の状況について 心の持ちようについての最近の心境を表現してみたい。
まずは、神の概念を想起したい。人間はなにものかによって作られたものであり、人間は生まれる前も、終末の後も、気づいてみれば、生きている現在ですら、定かには分からず、ただ本能に従って生かされているだけである。生きているだけである。それはちょうど母親の懐にあって、ぼんやり生きているような存在である。真智への愛と言っても、求道と言っても 食欲などと本質的に変わらないと言える。そこでは 人間も、動物も、植物も、草木や花も みな同じような存在にみえる。それゆえに 人間は大きな 分からないものの懐の中で、大きな流れに流さられるように生きていくほかはないと言える。頼れるものとは、あらゆる基礎とは、帰するところ、曖昧な自分の心であると表現するほかはない。それゆえに われわれは良くは分からないが 大いなるものに愛されていると感じられる者は まこと幸せではないだろうか。心から祈り、祈れるものは幸せであるといえる。そのような意味で、古代人は幸せな存在であったともいえる。大自然とともに在ったからである。― 無明であるだけ、それだけ幸せな面が、明暗のようにあるように感じられる。
深い確信にいたらずとも、そもそも人類、地球といっても 所詮小さな 儚い存在であり、この世で拘るようなものは 何もない事実を、真実をしっかりと見つめれば、大きな自由を得て、安らかな終末を迎えられるのではないだろうか。そのとき、人生を、希なる機会として、肯定できるだろう。
そのような心境では、世界は より良く見えて、世の美しさと 人類の愚かさを実感できるのではないだろうか? 愚かな人類の世界史を恥ずかしく想起したい。
以 上


再生核研究所声明288(2016.02.19) 戦友達 ― 共生、共感、共鳴

(ある構想が湧いたのであるが、大きな課題 纏めて表現は難しいが その時の直感を表現してみたい)
人間は作られたものであり、本質は動物も、生物も変わりはない。生物共通の課題は生、死で、それはゼロ除算におけるゼロと無限のように紙一重で微妙な関係にある。人間に与えられた意識の中における、滅することに対する存念、畏れは、生命作用の裏腹なる存在である。
恥ずかしい人類の世界史とは、ほとんど生命の本能に基づく 生存と基本的な欲求のために、不条理で、愚かな戦いを繰り返してきた事実にある。地球規模で見れば、人類は地球の生態系を破壊する癌細胞のように見えるだろう。人類は野生動物にも劣る、猿知恵以下の悪しき知能で、分を弁えない失敗作となっている可能性も高い。恥ずかしい。
戦争や戦いは、暗い人類の先史時代の物語として、恥ずかしい世界史上のこととして終わらしめ、明るい新しい時代を切り拓きたい。神をも震撼させるような美しい文化、世界史を描きたいものである。
この世に生を享けて、盲目的に戦場に駆り立てられ、生命を肯定することもできずに、亡くなって行った人々、それは敵、味方なく、我々の戦友たちであり、生命と定めを共有する我々の仲間たちである。人間は動物、生物と同様であり、生物の本能を満たしたい、そのために空腹を満たし、快適な環境で暮らし、家族や仲間たちと共感、共鳴したい。しかしながら、悪しき時代にはそれらの基本も満たされず、人生を閉じて行った人々は世に多い。それらの仲間たちに、彼らの無念さを 戦友たちへの思いのように、人類の世界に対する無念さとともに頭を垂れてしまう。今尚、そのような意味で、悪しき時代が続いていると言える。
しかしながら、そもそも人生とは、平和で文化が進んでも、生活がいくら改善されても、本質的に 戦場そのものであり、世代交代の様は 何ら戦場と変わりないことを示していることが実感される。
そこで、ある年代に至れば、仲間たちが次々とこの世から去っていき、上手く人生、世界を肯定して、安からに魂を天に返すことができただろうか という、情感が湧いてくる。
いろいろ共通の出会いや関係を持った人々、同じ時代を生きた人々に 共通の運命を感じ、同じ時代を生きたものとして、共感、共鳴し、人生、世界を肯定し、大いなるもののうちに上手く回帰されたか との想いが湧いてくる。
そのとき、もはや、過去の競争、諍いなど余りにも小さく、愚かしいことのように感じられる。
そこで、人々よ、そこから、人間として誇れる、新しい 世界史を、世界を切り拓いて行こうではないか。その原理は気づいてみれば ゼロ除算のように当たり前であり、公正の原理に基づく、生命の共感、共鳴、共生の原理で 十分である。思えば、2000年以上も前に 既に諭されていた聖人たちの教えそのものではないだろうか。まこと、聖人たちの教えに回帰したい。

以 上

再生核研究所声明287(2016.02.12) 神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算
(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:

論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。

直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:

Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29) ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday

詳しい解説も次で行っている:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku

以 上


何故ゼロ除算が不可能であったか理由

1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。







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記事 梅木雄平2016年02月27日 12:23メルマガやブログはスマホ時代に緩やかに衰退するだろう

記事
梅木雄平2016年02月27日 12:23メルマガやブログはスマホ時代に緩やかに衰退するだろう




先日とある人とコンテンツ論を語り合っていた時。

最近はnoteで1分くらいで読めるコンテンツ(僕でいうとイケダさんとはあちゅうのくらい、あとは最近サーチマン柴田さんの決算が読めるようになるnoteを一気読みした)に一番心地よさを感じます。一人ですぱじろうしてる時とか、電車の中とか、エレベーターの中でサクッと読むことが多いです。

ちなみに、メルマガはもうどこのも読んでいないのですが、メルマガをスマホで読むってかなりしんどいです。分量の多さが辛い。

ブログメディアも、PCでなら読むのですが、良さげな記事があっても、長いとスマホで読むと途中で離脱してしまう。

この問題、僕は少し悩みました。自分の脳が短文に慣れ過ぎてしまって、長文を読めないアフォになってしまったのではないかと。紙で村上春樹を読もうとしても集中できません。

しかし、テキスト量って実は価値とは比例しません。むしろ、テキスト量が多い方が、伝えたいことをようやく出来ていないという意味合いにおいては、価値が低いのかもしれません。長文の人の記事をよく読んでみましょう。無駄な言い回しが繰り返されていることが少なくないですから。これ、編集の仕事をしていると「余計な箇所を削ろう」と思うので、そういうことに気づけるようになります。今までの自分って…w

スマホ

僕が作った3,000円や1万円のnoteはPCでの閲覧をベースに、じっくり読む人向けに作りました。3万字くらいのnoteを全てスマホで読む人はさすがにいないのではと。

メルマガのフォーマットは本当に悪しき慣習で、週に1度のテンプレに載せるだけで、先人が作ったフォーマットにみんな縛られすぎています。そして、「テキスト量多くした方が、もったいない感が出て退会率が下がる」とまで言われていたこともあり、それって全然本質的ではないなと。

スマホ時代においては、どんな内容を誰に届けるかという戦略の差はあれでも、細切れ時間にできるだけ多く(理想は毎日)読者に接触し続けることで、大きな資産を築けるのではないかと、ユーザー視点で突き詰めるとそう思うようになりました。

この記事はTheStartupとnote、両方に全く同じ内容を出してみます。

無料記事であれば、分散型メディアの発想であれば「露出面を増やす」ことが大事なので、同じ内容の記事をブログメディアとnote両方で出すことは問題ありません。

ああ、なんかnoteに出すエッセイにしては、ちょっと長い気がしますが、メディア論でした。

我々提供者よりもユーザーの方が動きが早いのは世の常であり、そのユーザーの動きにアジャストするには、自身が正しいユーザー視点を持っていることが大切だと思います。

あと、noteだとコメントしやすい空気がありそうですね。レスはしないことの方が多いでしょうがw 気軽に読んだ感想を書き込んでみてくださいね。http://blogos.com/article/163378/

再生核研究所声明85(2012.4.24)食欲から人間を考える ― 飽きること

あらゆる生物の最も基本的な本能は、外部から取り入れるという、食の本能である。生きている顕著な営みであると言える。 この基本的な本能から、人間の基本的な要素を分析、考察し、人生の基本を理解したい。 
認識できる人間は 自己の生命が求めていることを、欲求や欲望、求める、欲しいという感覚で自覚するが、求める、欲しいの 最も基本的なものは、空腹を満たし、食べたいという、欲求である。もちろん、苦痛からの解放など、生存を脅かす状況からの解放は当然である。
このことから 既に、人間が有限の存在であることを知る。食欲といえども食を無限に頂くことはできず、どんな好物でも やがて、飽きるだろう。有限のものを取り入れている存在であると言える。何を頂くか、何を頂きたいかは、我々の生命が何を要求しているかの 要求の自然な表現として現れていると考えられる。基本的には 好きなものを好きなだけ頂くのが 健康にも良いと考えられよう。 その原理は多様な食から、変化を持たせて、適度に頂くが基本ではないだろうか。すなわち、多様性の原理とそれを実現させる 飽きるという重要な感覚がある。 飽きるという感覚が無ければ、食に偏りを生じ、複雑な生命活動を維持するのに支障が生じるだろう。
この声明の趣旨は、ちょうど食欲の状況のように、外部からの情報を取り入れて 豊かな精神活動を展開しようという観点に思いを至らしむことにある:

1) 我々は有限のものしか受け入れられない、制限があること
2) 我々の生命が 心が何を求めているかを 注意深く絶えず、己が心に尋ねること;
生きたい、死にたくない、良く暮らしたい、それらを越えて、生きるということは どのようなことか、自らに問うて行きたい。
3) 何事集中しすぎると飽きてくるので、間を考え、適度に変化を持たせること
4) 生命作用は複雑な存在だから、幅広い世界、情報に接するように配慮すること
5) 年齢、健康状態、環境などに影響をうけること
6) 慣れる、習慣、学習効果などにも配慮すること。

近年、インターネットの普及で、名曲や名画、映画の名場面など繰り返し、繰り返し楽しむことができる時代を迎えている。また、知識や情報が幾らでも入り、友人、知人、友達など幾らでも増やせる自由な時代を迎えている。それゆえに逆に、自己の世界をきちんと整理、制御して、取捨選択をきちんとして行かないと、いたずらに情報に振り回されて、適切でない食生活が健康を害するように、我々の精神を害することになるだろう。大いに気を付け、配慮して行きたい。

食も、飽きるものと、飽きないで、基本的に続けられるものが在ることにも注目したい。確かに定食など永く続けていても 適当な間隔で頂けば、飽きないで永続できるものがある。水やエネルギー源などは 基本的に必要であり、精神活動でも適度な刺激、変化、発見など、同様に基本的に心がけなければならないものが有り、また、いくら続けても、求道、芸術や研究活動などの創造活動のように 続けられる分野 が有ることに注目したい。
したがって、そのような永続するものを しっかりと受け止めて、適当に揺らぎを取り入れた生き方が、人生を豊かにする秘訣であると言えるだろう。
個人にはそれぞれの才に器が有り、生命作用は内部から、湧いている。教育の原理は その生命作用を補助することにある。 日本の公教育の現状は 個人の食欲を弁えず、一方的に強制して与えすぎで、消化不良と分裂、混乱させ、不健康な人間を大量育成している状況が有るのではないかと危惧している。これは、2500年も前に 中国古代で、既に注意されている事実である(再生核研究所声明2:教育方法では、学生の過誤を未発のうちに防止することを予という。学生の学習状況に応じて、ちょうど好い時に教えることを時という。学生の(受容能力の)程度を越えぬようにして授業することを孫(順当)という。 学生が互いに注意して言行を善美にしてゆくように指導すること、これを摩(磨)という。 これらの四事は、教育の効果を大きくする善法である。)。
美しいものをみたい、聞きたい、義に生きたい、人生の意味を知りたい、真相を知りたい、世の法則を知りたい、道を究めたい などなどは、食欲と同様、我々の生命が求めているのである。 実際、我が生命は 何を求めているのか と 絶えず、自らに問うべきである。 これは 人生の基本定理 を内から表したものである(再生核研究所声明 12:人生、世界の存在していることの意味について)。

以 上








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拉致問題早期解決を 来月5日、福岡でコンサート

拉致問題早期解決を 来月5日、福岡でコンサート

拉致事件をテーマにした曲「空と海の向こう」などの持ち歌がある山口采希さん
北朝鮮による日本人拉致事件の早期解決を目指した研修会が3月5日、福岡県小郡市祇園の実相寺で開かれる。中山恭子参院議員が講演し、シンガー・ソングライターで拉致事件をテーマにした曲「空と海の向こう」を発表した山口采希さんのコンサートもある。
研修会は浄土宗僧侶有志による「授手の会」が主催し、小郡市などが後援。午後1時の開会で、拉致問題解決に尽力してきた中山氏の講演会に続き、山口さんが歌う。先着120人で参加費1千円。問い合わせは授手の会事務局((電)050・3578・1615)。
山口さんは、産経新聞PRモデルも務める。同日午後7時から、福岡県久留米市東町の「ジミーズ バー ラウンジ」でライブも開く。こちらは2500円(ワンドリンク込み)。http://www.sankei.com/west/news/160227/wst1602270033-n1.html


再生核研究所声明 70(2011/09/28) 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず

現代の世相を見ると、余りにも奇妙な現象が起きていて、まるで本末転倒、あべこべになっているのではないかと考えられることが多いので、それらの事象を考察して、初心を尊重して本来あるべき姿について反省を求めたい。しかしながら、時代の趨勢で、初心が本質的に変化を求められ、変遷の止む無きこともあるので、その辺の考察も行なって置きたい。

まずマスコミの現状を見てみたい。 マスコミの在るべき姿については 例えば新聞社においては、自ら天下にこうありたいと宣言している 新聞倫理綱領 を参照して頂きたい(添付資料1)。 現状は 如何でしょうか。鍵となる用語を抜粋したので、現状を考えて頂きたい:

あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される
新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によって
言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじ
正確と公正 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である
報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない
あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない
他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する
人権の尊重 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。

教育の在り様については、 教育の目標を教育基本法に定めている。 その最初の部分を添付資料に付けたが、あまりに素晴らしく、また、あまりにも現状がかけ離れていて、驚いてしまう。
教育の基本精神を忘れて、知識偏重、受験のための技術学習に陥ってはいないだろうか。そのような教育が 空虚な日本を作っている根本原因ではないだろうか (再生核研究所声明15: 空虚な日本の社会)。さらに、日本の公教育が 才能ある子供たちの才能を大抵、活かさず、逆に駄目にしている事実を憂慮している(再生核研究所声明9: 天才教育の必要性を訴える)。

添付資料3 日本国憲法第9条 については、第二次世界大戦における敗戦で、再び戦争を起こさないとの固い決意のもと、発足したものであるが、朝鮮動乱、東西冷戦下の厳しい国際環境の下、繰り返し、国の最高機関で問題を議論し、司法界の一連の判断を経ながら、今日に至ったものであるから、現状を諒として受け入れる必要がある。しかしながら、その理念については 絶えず、真摯な態度で臨むべきであると考える(再生核研究所声明6: 憲法問題に対する提案 参照)。

上記のように、世には、始めの目標や理念が段々ずれて、何時の間にか逆転している様なことは多い、普遍的な現象ではないだろうか。 研究なども始めの素朴な動機や目標からかけ離れて、研究課題の中の展開のみが目的になってしまい、孤立化して、末期的な現象に陥っている場合が多い。 評価なども 本来は成果や、業績を評価すべきことが、逆転して、見掛け上の評価を良く飾るために 意や努力を重ね、本来期待された業績の展開を阻害している状況さえ多い(再生核研究所声明15: 空虚な日本の社会)。世界の軍事情勢なども侵略や防衛など軍事よりも、政治力の影響やビジネスの要素が強く、戦よりも商、政の性格を強くしていると言えるだろう。 多くの宗教なども、本来の救い、道、に対して、儀式や教団の業の性格を強くしていると言える。 変遷はすべて それなりの理由と歴史が有るのだから、否定的に見るよりも、初期の理念、目標と変遷を吟味するのが良いのではないだろうか。 混乱が生じたら、それらの経過をはじめから検証するのは、数学では日常行っている基本的な態度である。

以 上


添付資料1:
新聞倫理綱領
2000(平成12)年6月21日制定
21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。
国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。
編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。
自由と責任 表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。
正確と公正 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。
独立と寛容 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。
人権の尊重 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。
品格と節度 公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。


添付資料2:
教育基本法
(平成十八年十二月二十二日法律第百二十号)

教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
 前文
 第一章 教育の目的及び理念(第一条―第四条)
 第二章 教育の実施に関する基本(第五条―第十五条)
 第三章 教育行政(第十六条・第十七条)
 第四章 法令の制定(第十八条)
 附則
第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(生涯学習の理念)
第三条  国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。


添付資料3:
日本国憲法第9条

1日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

以 上

ウイキペディアより:

マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。

「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%97 より

拉致問題、北朝鮮問題も真面目に考えたいと思います。 安倍さんたちの考えはただ騒いでいるだけで、一つも解決にはならないのではないでしょうか。日本国政府が嘘をついたり、騙したりしていれば、それは重大だと思います。 神国日本のあるべき姿では無いと思います。日本国民の中には、先ず嫌な国だという感情が先にきてしまうのではないでしょうか。 それで、できれば付き合いたくない というのが、大方の気持ちではないでしょうか。 しかしそれでは、拉致問題は解決できず、アジアの緊張関係は弱まらず、日本は孤立化の方向にいってしまうと思います。 ただ騒いでいるだけになってしまいます。
さらに 不愉快な事は 歴史的な流れがあったとしても 戦前における日本国のおかした罪悪が、噴き出てくることです。 紛れもなく、おかしな国を作った一つの原因が 日本にはあると思います。
そこで、元気がなくなってしまうのですが、世界の平和やより良い未来を切り拓くためには、真摯に 考え直す必要があると思います。
そこで、次の全般的な考察は如何でしょうか。

再生核研究所声明 18(2008/07/30)  拉致問題の解決に向けての提案

拉致問題ほど 日本国にとって不幸な事件は それ程ないのではないでしょうか。しかも解決できる見込みがなく、いわば泣き寝入りの状況に陥っていると考えられます。
さて 拉致問題とは そもそも何でしょうか。日本国内に住んでいた人が 他国によってさらわれたものであり、このような不法な行為が 国家によって行われたことは全くの驚きであり、批判が世界中に広まったのは当然である。これでは 世界の秩序は保てず、国家の存立さえ維持できないからである。また、そのような暴挙を許した日本国の責任は 極めて大きく、これでは日本国の治安、防衛体制はどうなっていたかと批判されても仕方のないものである。陸、海、空を防衛するのは すべての国家の基本的な任務のはずです。またそのような暴挙を繰り返し許していた情報能力には 大いに反省されるべきです。

国家によって拉致された人達を如何にして取り戻すか。現在、政府を含めて、圧力を強めて、取り戻そうとしているが、一向に埒があかず、いたずらに時間をかけていて、拉致された家族の人達と多くの日本国民を苦しめています。 他方、6カ国会議の国々は 所謂、核開発の中止と引き換えに テロ国家指定解除や重油などの援助を行う方向であり、日本国だけが取り残される苦しい立場に追い込まれている。アメリカなどの この妥協は、核兵器を持たせるという大きな脅威を直視する以上、止むを得ないことと理解を示す必要があると考えます。
いやしくも相手国家が拉致問題を解決する姿勢を示さず、圧力をかける有効な手段を持たない以上 この問題を解決するには 実効支配している北朝鮮政府と交渉を行ない、妥協の道を探らなければならないと考えます。
それには交渉が行き詰った所に戻り、そこから1歩1歩解決の糸口を探る必要があります。直接の糸口は デヴィ夫人のブログにあった。
http://ameblo.jp/dewisukarno/day-20080701.html

小泉元首相が北朝鮮におもむき、国交正常化を約束し、
そしてめでたく5人の拉致被害者を連れ戻すことに成功、
日本国中が熱い涙を流したのも、昨日の事のように思い出されます。
私自身も怒りのために震える気持ちでした。
しかし拉致被害者の方々は、
日本政府との2週間の日本滞在の約束で帰ってきたはずです。
当時内閣官房副長官であった安倍晋三氏と中山恭子首相補佐官が、
彼等を北朝鮮へ帰さないと強行な態度で約束を破りました。
連れ添ってきた北朝鮮の赤十字の方々を
スパイ扱いするような非礼なことまでいたしました。

に糸口があるのではないでしょうか。約束を守らず、返さなかったという事は 加藤氏のテレビなどでの発言、その他でそのようであったように考えられます。国、政府が約束して、守らなかったとなれば、それ以上交渉が進展しないのは当然ではないでしょうか。日本国政府は、北朝鮮政府を騙した事になり、それではもはやそのような日本国政府とは、交渉ができないというのは、世の道理ではないでしょうか。嘘をついてはいけないのは、相手の為ではなく、自分の信頼を得る為ではないでしょうか。例え相手が、どのようであっても、自分の尊厳と信頼を得る為には、嘘や騙しは、許されないと思います。日本には 武士に二言はないという気高い精神があったと思います。もし日本国政府がそのような いい加減なことをやっていれば、これは、日本国の重大な問題ではないでしょうか。
約束違反は 重大な背信行為になりますから、相手が納得するまで、謝罪する必要が先ずあると考えます。ここで ならず者の国家では道理が通らず、約束を破ってもよいと考える人もいるかも知れませんが、それでは北朝鮮を支配している政府とはもはや交渉は出来ず、結果的に拉致問題は そのような政府が続く限り、解決できないという結論になると考えます。超大国アメリカも中国も 圧力で拉致問題が解決できる見通しが立てば、日本に協力して解決の方法を進めてくれると考えます。そうではないことは、拉致問題の解決がそう簡単ではないと判断していると考えられます。

従って約束違反を真摯に謝罪し、国交正常化交渉のテーブルに着くことが 拉致問題解決の第1歩ではないでしょうか。その始めの段階で、第2次世界大戦以前の日本国の侵略に対する謝罪を 中国や韓国に行ったように真摯に行い、具体的な保障を含めて話し合いを始めるべきではないでしょうか。中国や韓国と行ったように、国交を回復して、両国の友好関係を深めて、アジアの緊張をゆるめ 明るい未来を拓き、世界の平和に貢献して行こうではありませんか。オリンピックまで開催できるように進化した中国を想い出し、北朝鮮の変化と進化を期待しようではありませんか。 このような過程で 拉致問題は着実に前進すると考えます。  以上。

注:
加藤紘一元幹事長の発言:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080707-00000140-jij-pol
拉致被害者「戻すべきだった」
http://www.youtube.com/watch?v=PkR3lK001Zg

・自民党の加藤紘一元幹事長は7日夜、日本BS放送の番組に出演し、2002年に北朝鮮から一時帰国した曽我ひとみさんら拉致被害者5人に関し、同国に戻さないとした当時の政府決定について 「国家と国家の約束だから、(戻した方が)よかった。安倍(晋三前首相)さんを中心に返すべきでないとなったが、その辺が今、日朝の間で打開できない理由だと思う」と述べ、官房副長官として 永住帰国への方針転換を主導した安倍氏の対応に問題があったとの認識を示した。
加藤氏は「(戻していれば現状のようには)ならなかった。『また来てください』と何度も何度も(両国間を)交流していた。一回返すと平壌は殺してしまうんじゃないかと(言われたが)、そこが (安倍氏らとの)外交感覚の差だ。そんなことができるはずがない」と述べた。

再生核研究所声明 50(2011.2.24):  日本における 民主主義の脆さ、危うさ

民主主義は 衆愚政治に近いものであり(声明 33:民主主義と衆愚政治)、日本は既に衆愚政治の状態ではないか との危惧を表明している(声明 49:アジアの愚か者、アジアの野蛮性)。しからば、どうして、このような状態に至ったかを考察して、日本国の弱点を克服して、少しでも歴史を進化させるように努力したい。
はじめに、民主主義は 日本の国民性に合っておらず、本質的な問題を抱えていると言えるのではないだろうか。 先ず、大多数を占める一般庶民を見ると、

1) 政治に興味が無い、関心が無い、政治に嫌気がさしている、政争を好まない、政治論争も嫌いである、あるいは政治に絶望している。
2) 政治を語ると 変な偏った思想の持ち主であるかのように感じられる風土、文化、和の精神で、表に出さず、内緒に政治に関与したい。 みんなで連なっていたい文化背景を有しているように考えられる。
3) 日本のあるべき形や、組織のあるべき姿など 真剣に考える余裕も無く、認識が、理解が薄いので、多分に感じやムード、評判などで、判断内容の質は 相当に悪く、あれも霞と民主主義 のレべル を越えているようには見えない。
4) 公の選挙でも、地縁、など まるで、ある勢力の争いのような雰囲気で、政策や政治理念、政策以外で、選挙に参加するのは よく見られる情景である。多くの場合、社会を良くするには、国を良くするには の観点より、勢力争いに費やしている方が主になっている。
5) 本質的な問題としては、日本では、個、個人が確立しておらず、ふらふら仲間のムードで動いている、生きている、意思表示しているような背景がある。
近年に見られる背景は、
1) 真面目に社会や、国の在りようについて考える、時間的な、精神的な余裕が無い、国防や税の問題、経済、福祉など、難しすぎて、真面目に検討できない
2) 政治社会は あまりにも大きな世界のために、個人の空しさを感じて、絶望的になってしまう。 諦めてしまう
3) 醜い政争、あるいは公約違反などを見て、うんざりして、諦めてしまう、信じられる政党も、政治家も、人物もいない
などの理由で、政治に無関心な層が増加していると考えられる。
それらのために 投票しても、質が低く、変な投票結果すら、出していると考えられる。これこそ、衆愚政治に陥っている ということの、その背景ではないだろうか。
多くの人が政治に関心を持ち、日ごろ議論などして 高い見識を維持することは 不可能である。 そこで、言論界やマスコミなどが 建設的な意見や、あるべき姿について見識ある見解を表明して、多くの国民がそれらを参考にして、選択するというのが、民主主義のあるべき実体である、 実相であると考える。 そこで、マスコミや言論界がしっかりしていれば、民主主義は 国民が最終的な、総合的な判断をするという意味で、うまく機能すると、民主主義制度を高く評価できる。ところが、日本で重大な問題が起きていると危惧している。日本の言論界、マスコミが誠に低級で、偏っているという、判断である。そのために、国民は混乱させられ、政局は混乱し、全体として衆愚政治に陥っているという、判断である。
マスコミが 不偏不党、法と社会正義を守り、客観的な報道を行なうのは、当然であると考えられてきたが、公然と偏向報道を行い、法や道理を自ら破ぶっているように見える。 国家の在り様についての見識も、低級であると判断される。具体例を挙げると、検察が徹底的に調べて、不起訴処分を決定している者を、あたかも有罪判決を受けた者のように、大騒ぎさせて、日本の指導的な政治家を 政治的に抹殺しようとしている事実は 顕著ではないだろうか。推定無罪の原則など、法治国家の常識ではないだろうか。ようやく実現した政権交代を散々攻撃して、政権交代を空中分解させている。 健全にマスコミが機能していれば、このように混乱した状況は 起きなかったものと考えられ、誠に残念である。更に、国家の在るべき姿に対しても アジアに緊張を起こし、軍拡を煽り、アジアの愚か者を 扇動する浅ましさが目立つ。
更に信じられない事件は、検察の政治介入である。これには繰り返し述べてきたところであるが、公然と与党幹事長や首相になろうという人に 政治的な弾圧を加えていると理解されるということである。 これは、民主主義に対する官憲による政治介入に繋がるので、極めて重要な問題を含んでいる。 関係声明を参照して頂きたい:

再生核研究所声明 23: 秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則
再生核研究所声明 30: 検察庁の暴走と民主主義の危機 - 広い視点
再生核研究所声明 31: 法の精神と - 罪と罰
再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判

マスコミも検察も終戦に当たって、大きな反省をした筈であるが、何を学習したのだろうか。 国民のレベルも戦前以下であり、日本国の民主主義に危うさ、危惧の念を抱いている。 それらは、平和の問題に直結している、日本国の大事であると考える。
                                    以 上

欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。 


小沢氏「既存メディア」不信? フリー記者らに積極露出
http://www.asahi.com/politics/update/0128/TKY201101270535.html

小沢氏だけでなく、多くの人が、日本のマスコミが、法を尊重せず、公正でもなく、不偏不党でもないとは感じておられると思います。
政治に関心のない・真面目な研究者が、日本のマスコミは外国誌のようだ、小沢氏をたたいている、おかしいと言っていたのは、日本の常識を言っていると思います。首相になろうという人に疑いをかけて、さんざん騒ぎ、政治家失脚のように追い詰めて、結局不起訴を決めた、検察の重大な過失、その事実だけで、検察の責任は、民主主義への本質的な挑戦ではないでしょうか。 
健全なマスコミならば、そのような経過を許さず、また検察の責任を追及するのが正義と法を守り、民主主義を守るマスコミの使命ではないでしょうか。 マスコミ・検察・政治家が団結して、小沢氏をいじめているように見えますね。 おかしな日本。 法も道理も義もないのかと怒りを覚えます。

何故マスコミは乗っ取られたのか?
http://oshiete1.nifty.com/qa6462614.html

何時の世にも宣伝は大事であり、権力者ばかりではなく、多くの人が、マスコミを利用しようとするのは、普遍的な事実ではないでしょうか。
そこで、そのような圧力に対して、社会正義や世界のための大きな視点を失って、圧力で動いていれば、それはマスコミの役割を放棄し、信頼を失い結局衰退するのではないでしょうか。 
いつでも信頼の上に成り立つものは世に多いですね。
マスコミは、公器なので、社会正義や不偏不党などの条件が有ると考えますが、アメリカ流の考えによれば、いまや電波や情報は広く拡散できますので、新聞社は、勝手に商業紙の様に自由に書いても良いという考え方があるようです。 ですから、新聞内容を丸呑みしないで、いろいろな情報と比較したりして 批判的・理解する態度が必要ではないでしょうか。
日本の新聞など、外国の圧力で書いているようなところが多く、商業紙のようで、論説記事なども批判的に見る態度が大事ではないでしょうか。 実際、日本のマスコミには、日本を衆愚政治に導いていて、法や道理を無視しているようなところがありますね。 小沢氏の問題などに顕著に現れていると思います。 検察が小沢氏の問題について、不起訴処分を決定したという、重い事実など無視して、政治と金などのキャンペーンを繰り返していますね。 検察の政治介入の巨悪を追及すべきところ、検察とマスコミの癒着では、マスコミの腐敗は深刻ではないでしょうか。
平成暗黒時代の演出者として、やがて世界史の厳しい批判を受けるのではないでしょうか。

再生核研究所声明41(2010/06/10):世界史、大義、評価、神、最後の審判

日本のマスコミは、どの部分を改善したら、素晴らしくなるでしょうか

日本のマスコミについて、果たして自分たちの良心と社会正義観から、政治問題や防衛問題を 真面目に考えているようには見えず、外圧によって、偏向報道をやっているように思われ、報道の信頼が揺らいでいるのは根本的な問題ではないでしょうか。 
編集者の責任は、重大ではないでしょうか。
政治以外の文化面その他の多くの記事が素晴らしくても、大事な政治で偏向・社会正義について信頼を失えば、新聞全体の評価は、著しく下がるのは当然ですから、関係者が内部から、絶えず、社会正義を追求すべきでは。 特にいろいろな意見や反対意見を幅広く取り上げ、いろいろな視点から、幅広く読者が判断できるように、情報を提供すべきではないでしょうか。 
良い意見を広く採択でき、紹介するためには、編集者の高い能力と公正な判断能力が求められるのではないでしょうか。


GHQから「日本の将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用するので、これは捕虜の虐待ではないか」と問われた升田は次のように反論する。
「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。常に全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに仕事場を与えようという思想である。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車と元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」。チェスは取った駒を殺すが、これこそ捕虜の虐待ではないか。キングは危なくなるとクイーンを盾にしてまで逃げるが、これは貴殿の民主主義やレディーファーストの思想に反するではないか」と反論した。
格好良すぎるぞ。升田幸三!

名人に香車を引いた男―升田幸三自伝 (中公文庫) [文庫]
升田 幸三 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E5%90%8D%E4%BA%BA%E3%81%AB%E9%A6%99%E8%BB%8A%E3%82%92%E5%BC%95%E3%81%84%E3%81%9F%E7%94%B7%E2%80%95%E5%8D%87%E7%94%B0%E5%B9%B8%E4%B8%89%E8%87%AA%E4%BC%9D-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8D%87%E7%94%B0-%E5%B9%B8%E4%B8%89/dp/412204247X
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%87%E7%94%B0%E5%B9%B8%E4%B8%89
天野宗歩


日本の政党は「腐敗している」80%(独NGO調査)
http://irorio.jp/mayfly/20130714/68903/
「政治家信用せず」80%、17、18歳に政治家不信の傾向浮き彫り
http://www.sankei.com/politics/news/150628/plt1506280015-n1.html

国の借金1000兆円を突破 6月末時点
http://www.cnn.co.jp/business/35035799.html
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114138890


自民が勝つ
民主が負ける
俺たちが笑う
日本が元気になる

それでおk

惜しい 途中までは合ってるけど最後が少し間違ってる

自民が勝つ
↓
民主が負ける
↓
お前らが笑う
↓
自民が日本を終わらす
↓
お前らが騙されたと気づく
http://speq.hatenablog.com/entry/2013/07/17/150528

 美しい人たちの活かされない努力、無駄な努力 








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